中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる[1]福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。

経歴

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主な業績

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  • プロ用コンデンサーマイクの開発(NHK技術研究所時代、今なお現役のソニーC-38Bの源流になるCU1-1を1954年に開発。その商品化はソニーに依頼)
  • 国産初の放送モニタースピーカー(BTS放送技術規格)の開発(NHK技術研究所時代、商品化は三菱電機に依頼。型式名:2S-305)
  • 世界初のデジタル録音機を製作
  • PCMプロセッサー(家庭用VTRを使ったデジタルオーディオ録音機)の開発を主導
  • CD-DAの開発・標準化を主導
  • DATの標準化を主導(開発には関与していない)
  • CD-Rの開発・標準化を主導

CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。

デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。

著書

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ほか多数

栄誉

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脚注

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  1. ^ 「CDの父」中島平太郎氏、久留米に銅像”. 西日本新聞ニュース (2019年11月7日). 2019年12月9日閲覧。
  2. ^ 音との付き合い70年~(その1)NHKに入るまで (一社)日本オーディオ協会 JASジャーナル2016年9月号(Vol.56 No.5)
  3. ^ 中島平太郎氏、死去=96歳、「CDの父」 時事ドットコム、2017年12月13日

外部リンク

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