中島吉三郎
大日本帝国陸軍軍人
中島 吉三郎(なかじま きちさぶろう、1889年(明治22年)2月16日[1] - 1974年(昭和49年)1月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
中島 吉三郎 | |
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生誕 |
1889年2月16日 日本 群馬県 |
死没 | 1974年1月11日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1938年(昭和13年)1月20日に歩兵第28連隊長に就任し[2]、3月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1939年(昭和14年)に陸軍歩兵学校教導連隊長に転じた[2]。
1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級し[2]、第37歩兵団長(第1軍・第37師団)に就任し[1]、日中戦争に出動[1]。運城に駐屯し、警備・討伐戦に当たった[1]。1943年(昭和18年)6月に支那派遣軍歩兵教育隊長を経て[1]、1944年(昭和19年)3月10日に第1国境守備隊長に就任し、東寧に駐屯[1]、10月26日に陸軍中将に進級した[2]。11月2日に第66師団長に親補され[1]、宜蘭で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。