中山輝也
経歴
編集新潟県新発田市出身。1952年に新潟市立関屋中学校、1956年に新潟県立新潟高等学校、1960年に新潟大学理学部を卒業した。技術士(応用理学部門)の資格を持つ。
1960年の応用地質株式会社、1961年からの新潟県企業局の土木部を経て、1973年(昭和48年)に北日本技術コンサルタント株式会社(現、株式会社キタック)を設立。
1979年、大湿地帯で食物生産がまともにできなかった中華人民共和国の三江平原を農業地帯として開発するプロジェクトに参加、当時42歳で最年少だったが、専門知識があっただけでなく過去に訪中経験があったことからプロジェクトチームの亀田郷土地改良区の理事長であった佐野藤三郎に声をかけられ、[1]対中国初の政府開発援助である竜頭橋ダム建設事業に貢献した[2]。
地域貢献をモットーに1989年(平成元年)に財団法人産業地質科学研究所(財団法人環境地質科学研究所改称後、2011年解散)を設立。2010年には渋沢栄一賞を受賞している[3]。
主な公職
編集脚注
編集出典
編集- ^ 片岡優佳 (2021年4月15日). “豊穣の大地を生んだ日本の技術者たち(上)”. nippon.com. 2022年7月29日閲覧。
- ^ 片岡優佳 (2021年4月15日). “豊穣の大地を生んだ日本の技術者たち(下)”. nippon.com. 2022年7月29日閲覧。
- ^ “渋沢栄一賞受賞者”. 埼玉県. 2022年7月30日閲覧。