中山悌一

日本のバリトン歌手

中山 悌一(なかやま ていいち、1920年2月6日 - 2009年9月29日)は、日本バリトン歌手。作曲家東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授。

中山 悌一
生誕 (1920-02-06) 1920年2月6日
出身地 日本の旗 日本 大分県
死没 (2009-09-29) 2009年9月29日(89歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 バリトン歌手・作曲家
担当楽器 声楽

経歴

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大分県生まれ。旧制大分中学校[1]を経て東京音楽学校を卒業。ドイツ歌曲を研究し、日本においては木下保に師事した。ミュンヘン高等音楽学校に留学してゲルハルト・ヒュッシュに師事。1956年に帰国し、演奏活動を再開する。以降放送などで活動を重ね、出演回数は800回を超えた。

また、母校の東京芸術大学などで後進の指導にもあたり、東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授をつとめた。弟子には大賀典雄、宮原卓也、伊藤京子等がいる。

1952年には柴田睦陸らと二期会を結成した。1952年 - 1998年には理事長を務めており、日本の音楽界に貢献した。

2009年9月29日、老衰のため死去[2]。89歳没。

作品

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受賞

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家族・親族

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妻はピアニストの中山靖子(朝倉靖子)

脚注

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出典

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  1. ^ a b 「みはるかすくに」創刊号” (PDF). 在京大分中学・大分上野丘高校同窓会. p. 20 (2018年4月10日). 2023年8月6日閲覧。
  2. ^ “二期会創設の中山悌一さん死去 バリトン歌手 89歳”. 朝日新聞. (2009年9月30日). オリジナルの2009年10月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091001181813/http://www.asahi.com/obituaries/update/0930/TKY200909300299.html 2009年10月1日閲覧。 
  3. ^ 「秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者」『読売新聞』1991年11月3日朝刊