中山家範
中山 家範(なかやま いえのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は丹党加治氏一族の中山家勝。北条氏照の家臣。通称は勘解由左衛門、助六助。諱は吉範とも。子に中山照守、常陸水戸藩附家老の中山信吉。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文17年(1548年) |
死没 | 天正18年6月23日(1590年8月25日) |
別名 | 別名:吉範、通称:勘解由左衛門、助六助 |
主君 | 山内上杉氏、北条氏照 |
氏族 | 丹党加治氏中山氏 |
父母 | 中山家勝 |
子 | 照守、信吉 |
父家勝は武蔵飯能の豪族で、山内上杉氏の家臣だったが、のち後北条氏へ仕えた。主君氏照の元で勇戦し、その武名は関東一円に轟いた。
天正元年(1573年)、亡父家勝を弔うため、小庵であった武陽山能仁寺を菩提寺として建立した。
天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉による小田原攻めの折に八王子城へ篭城し、前田利家の助命を拒み、後北条家への節義を果たして討死にした[1]。享年43。
脚注
編集- ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X