世界文化
日本の雑誌
沿革・概要
編集1933年の滝川事件をきっかけに、ファシズムの危機に対抗するため、中井正一が中心となり、自身が1930年に創刊した雑誌『美・批評』を改題して1935年2月1日月刊誌として創刊。1935年2月号[1]から1937年10月号まで34号発行された。
同人の多くは中井正一、新村猛、久野収、武谷三男、真下信一、和田洋一、禰津正志、冨岡益五郎ら京都大学出身の知識人で、京都で発行された[2]。
軍国主義のもとで日本文化がとざされていくのに抗して、"世界文化の大通り"を歩むことをめざし(創刊号の宣言)、ファシズム反対の文化運動のよりどころとなった。人民戦線運動など西欧の反ファシズム運動を系統的に紹介したところに特色がある。淀川長治が映画の批評を書いていたこともある[3]。
総目次
編集- 小田切進 編『現代日本文芸総覧』 上、明治文献、1969年、438-456頁。 NCID BN01676135。
- 和田洋一「『世界文化』 総目次」『灰色のユーモア : 私の昭和史ノオト』理論社、1958年、198-209頁。 NCID BN03918381。
注
編集参考文献
編集- 鶴見俊輔「世界文化」「中井正一」、平凡社『世界大百科事典』中の一項目
- 法政大学大原社会問題研究所大原クロニカ『社会・労働運動大年表』