不破万作 (小姓)
豊臣秀次の小姓
不破 万作(ふわ ばんさく、「伴作」とも記す、天正6年(1578年)- 文禄4年(1595年))は、安土桃山時代の豊臣秀次の小姓。尾張国(愛知県西部)の生まれ。文禄4年(1595年)7月、秀次の切腹前に殉死したと伝えられている。享年17。
人物
編集武将としては功績のない不破万作の名が後世に伝わっているのは、彼が絶世の美少年として知られ「天下三美少年」、あるいは「戦国三大美少年」の1人としてその名を残しているからである。
「天下三美少年」とは、不破万作、蒲生氏郷の家臣で、歌舞伎の祖として知られている名古屋山三郎、同じく氏郷の家臣で、後に石田三成に仕えた浅香左馬之助(水野庄次郎)の3人で、それぞれ当時の比類なき美少年として知られていたという。歌舞伎で名古屋山三と恋の鞘当をする「不破伴左衛門[1]」のモデルは不破万作だとされ、初代市川團十郎が不破伴左衛門役を演じ江戸で大当りをし、後に代々の市川團十郎が演じる事になった[2][3]。
登場する作品
編集- NHK