下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年)は、日本の歴史家、官僚。
三重県津市出身。三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)、第八高等学校卒、1931年東京帝国大学法学部卒。東京市、名古屋市で自治行政に携わる。のち京都地方裁判所司法委員[1]。本務のかたわら西洋史を研究した。