下條アトム

日本の俳優、声優、ナレーター (1946-2025)

下條 アトム(しもじょう アトム、1946年昭和21年〉11月26日[1] - 2025年令和7年〉1月29日[5])は、日本の俳優声優ナレーター東京都出身。

しもじょう あとむ
下條 アトム
本名 下絛 アトム
別名義 下絛 アトム
生年月日 (1946-11-26) 1946年11月26日
没年月日 (2025-01-29) 2025年1月29日(78歳没)
出身地 連合国軍占領下の日本の旗 連合国軍占領下の日本東京都[1]
死没地 日本の旗 日本・東京都[2]
身長 168 cm[1]
血液型 O型[3]
職業 俳優声優ナレーター
活動期間 1969年 - 2023年
配偶者 あり
著名な家族 下絛正巳(父)[3]
田上嘉子(母)[3]
事務所 トム・プロジェクト[1]
主な作品
テレビドラマ
信子とおばあちゃん
徳川家康
仮面ライダー響鬼
映画
八つ墓村
バラエティー番組など
世界ウルルン滞在記
吹き替え
刑事スタスキー&ハッチ
エディ・マーフィ各種吹き替え[4]
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同じく俳優の下絛正巳を父に、元女優の田上嘉子を母に持つ[3]。本名同じ。名前に含まれる「ジョウ」の表記において、細い枝を意味する 下 アトム を用いることが多いが、本名の正式な表記はさなだを意味する 下 アトム であり、こちらを用いられる場合がある[6]

経歴 

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アトムという名前は本名であり、父・正巳が第二次世界大戦後間もなく生まれた息子を、将来は日本でもアメリカのように名前・苗字の順に呼ぶようになり[7]、ローマ字の順に名簿も作られるだろうと考え、ならばアルファベットのAで始まる名前なら最初に呼ばれるという理由で、さらに「今後の原子力は戦争ではなく発電など平和のために使われるはずである」という願いを込めて、原子を意味する英語atomから名付けた。

幼い頃から父・正巳の所属していた劇団民藝の芝居を見ており、楽屋で全く違う姿に変身していた父・正巳を見て驚き、日常ではない芝居の世界に憧れていた。高校時代、進路を決める際には「俳優になる」と告げていた。しかし、当時新劇をしていた父・正巳は当時は食糧難を経験しており、とにかく食べていけることが大事だったことから「いくら好きでも何の保証もなく、それで食べていけるわけではない」「才能云々ではなく、とにかく食えないんだからやめろ」と猛反対していたという[7]。しかしアトムは「じゃあ、そんなに食えなくてしんどいんだったら、親父は何でやってるの?」と切り返したところ、父・正巳は「そりゃそうだな」と認めてくれたという[7]

玉川学園高等部卒業[8]後、父・正巳の名前で劇団民藝の俳優教室に入学。当時はひどく悪い生徒で、できもしなかったものの口ばかりで、「人の芝居を見るより舞台がやりたい」と生意気なことばかり言っていたため、2年ぐらいでクビを勧告された。その時は学校演劇の『アンネの日記』をしていたが、「生意気なことばっかり言って、君はだめだよ」と言われていた[7]。当時、父・正巳は劇団民藝に所属していたが、「お前の生き方だから」と言って怒りはしなかった[7]

民藝をクビになった後、バセドウ病を発症して、2年半闘病していた。その後、家族同様に俳優の道に進んだが、お金がなかったこともあり、生活費を稼ぐため日雇いなどの様々なアルバイトをしていた。貯めたお金で自分たちで芝居を作ったりもしていた[7]。1969年のNHK連続テレビ小説信子とおばあちゃん』でドラマデビュー[5]。26歳ぐらいで俳優の仕事だけで生活ができるようになった。『藍より青く』が終えたあとからレギュラーの仕事が多くなり、30歳を過ぎるくらいまでは、結構良い調子だったという[7]

以降は映画・ドラマで活躍したほか、エディ・マーフィ吹き替えや『世界ウルルン滞在記』のナレーションなど声優としても活動した。

2023年9月に急性硬膜下血腫を患ってから闘病生活を送っていた[2]が、2025年1月29日、東京都内の病院で死去した[2]。78歳没[2]

人物・エピソード

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手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』は下條アトムの命名より後に描かれたものであり、同名となったのは偶然の一致である。『鉄腕アトム』の連載当時、アトムという名の少年が実在することが話題となり、当時少年だった下條は手塚治虫と対面している[7]

また、ウランという名の女性が小学生時代の同級生におり、当時のテレビ番組『私の秘密』に2人で出演したこともある[7]。ともに現在の日本においても珍しい名前であり、これは非常にまれな出来事である。『今夜は最高!』にゲスト出演した時に『鉄腕アトム』のパロディでアトムを演じ[9]、最後に「これ一度やってみたかった」とつぶやいている。

俳優業の他に30代の頃から声優業も並行して行っており、声優としての代表作は『刑事スタスキー&ハッチ』のスタスキー役とフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』を主としたエディ・マーフィの吹替作品である。下條が声優を始めた頃は声優業は役者側から軽視される業種だったものの、下條は難しいながらも面白い物だと解釈し収録後に自身の演技に不満を持ち、表現力を極めようと精進したことが声優としてのキャリアに繋がったのではないかと回想し、2018年のインタビューでは「毎回いつも新人のようなつもりでやってるんですよ。いわゆる第一線級ではないですし、2軍でベンチをあっためているような気持ちですよ」と語っていた[7]

ナレーターを務めた『世界ウルルン滞在記』は広く有名になり、モノマネをする人のほとんどは、「○○で出逢った」というモノマネを行う(最初の時は特徴ある口調ではなかったが、「リポーターやスタッフが大変な思いをしてやって来たその映像を視て、『頑張れ』という思いで感情移入するうちにこうなった」とのことで、結果的に12年間も務める事となった[10]。)。

2005年の『仮面ライダー響鬼』には、立花勢地郎役で出演。東京都葛飾区柴又にてきびだんごを名物とする甘味処を営み、“おやっさん”の愛称で慕われる役どころ[注釈 1]であったことから、出演のオファーを受けた際は戸惑いを感じていたという[注釈 2][11]

エディ・マーフィ

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当時『ビバリーヒルズ・コップ2』や『星の王子 ニューヨークへ行く』などの音響演出を行った演出家の河村常平によると「エディの地声に似ている声の俳優」ということで下條が起用されていたとしている[12][13]

その後、「エディ・マーフィでおなじみの下條アトム」と評されるほどに定着[14]。エディのキャリア最初期にあたる1980年代から担当しており、「吹き替えで発する独特の訛りがクセになる」と評されるなど個性的な演技が好評となった[15]。そのセリフ回しは大泉洋をはじめ、バナナマンキャン×キャンドランクドラゴンといったタレントのモノマネレパートリーとしても人気を博している[16]ほか、下條と並んでマーフィの吹替声優として知られている山寺宏一も、吹替えを担当する上でマーフィの雰囲気を日本語で出すということが大事だと思っていた中で、「下條アトムさんのなまった感じがエディ・マーフィなんだ」「あれ(下條)がエディ・マーフィなんだよ、やまちゃん(山寺)は普通に喋っているから面白くない」といった意見を度々受けており、下條の吹替えた作品を見て研究、反省しようかと考えることもあるという[17]

ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』公開時にはエディ本人との対面が実現しており、その様子は『おはよう!ナイスデイ』1996年8月27日放送回で放送された。

下條自身は、エディの吹き替えに関して次のようにコメントを寄せている。

「彼のエネルギーを僕が出すのは無理なんです。でも──これは妄想なのですが──エディ・マーフィになったつもりでやっていました。スタジオでも革靴ではなく運動靴を履いていましたし、体も動かしました。

 声を当てるといっても、首から上だけに重点を置かなかったんです。僕も役者ですから、どういう気持ちでエディ・マーフィは演じているのか、この役の人間はどういう気持ちでいるのかを大事にしようと。

 それと同時に、あれだけ素敵な役者の邪魔をしたくなかった。つまらない色付けをして、自分を出したくないと思ったんです。僕がやっていると知られなくていい。エディが日本語を喋っているぐらいに視聴者は思ってくれていいという感じでした」 — 下條アトム[18]

出演(俳優)

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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  • ふくろうと子猫ちゃん
  • ラブレター
  • とんでもない女

オリジナルビデオ

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  • min.jam 山手線デス・ゲーム(2005年) 21話 - 鉄腕アトム 役
  • 新 麻雀放浪記 3(2005年) - 雀荘のマスター 役
  • きらめけ! Vivacious Dash(2023年) - 下川つとむ 役(友情出演)

インターネットドラマ

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バラエティ

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ラジオ番組

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出演(声優)

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吹き替え

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担当俳優

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エディ・マーフィ

洋画

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海外ドラマ

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海外アニメ

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ナレーション

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ラジオドラマ

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楽曲

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シングル

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発売日 レーベル 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
9月5日 東芝EMI

Express

EP ETP-10049 A 黄昏はいつものあいさつ 下條アトム 設楽幸嗣
B たゆとう季節 小室等 設楽幸嗣
1975年9月 EP ETP-20157 A 青春熱寒 下條アトム さいとうあきひこ 中村二大
B 心ふたつ 下條アトム・赤城光 赤城光 島田敬穂
1979年 ビクター

ラジオシティレコード

EP RD-2005 A 俺と親父 喜多条忠 吉田拓郎 松任谷正隆 欽ちゃん劇場「とり舵いっぱ~い!」主題歌。
B さよならルージュ
2007年 CD 1 今、いちばんのありがとう 斉木良二 徳武弘文 小坂一也の1991年の楽曲のカバー。
2 DRAMA 下條アトム

アルバム

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発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム
1976年 東芝EMI/Express LP ETP-72198 First Album この坂の途中で
1977年10月5日 東芝EMI/Express LP ETP-72275 アトムランド

A面

  1. 結婚讃歌
  2. ブルー・フェニックス
  3. 望郷の詩(作詞・作曲:谷村新司、編曲:ボブ佐久間)
  4. ねえ君
  5. 残暑
  6. 心のままに

B面

  1. 追憶
  2. ピノキオの手紙
  3. マイ・フレンド
  4. 風にゆれて
  5. ほんの少しでも

脚注

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注釈

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  1. ^ 父・正巳は、映画男はつらいよ』シリーズにおいて、葛飾柴又の帝釈天にある団子屋を営む“おいちゃん”の愛称で親しまれる男性を演じている。
  2. ^ オファーを受けたのは、父・正巳の没後、わずかな月日しかたっていない時期であったという。

出典

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  1. ^ a b c d 下條 アトム”. トム・プロジェクト. 2025年2月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 『ウルルン』ナレーター・下條アトムさん死去 享年78 2023年に急性硬膜下血腫で闘病生活【報告全文】”. ORICON NEWS. oricon ME (2025年2月13日). 2025年2月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 下條 アトム”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2025年2月15日閲覧。
  4. ^ NEWS&TOPICS | 声優にもいろいろある!声優の進路をチェック - 総合学園ヒューマンアカデミー 公式サイト(総合学園ヒューマンアカデミー). 2023年7月15日閲覧。
  5. ^ a b “下條アトムさん死去 「アトム」は本名…終戦翌年に生まれ両親が込めた願いとは 手塚治虫との逸話も”. Sponichi Annex. (2025年2月13日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/02/13/kiji/20250213s000413H4153000c.html 2025年2月15日閲覧。 
  6. ^ 下條アトム Atom Shimojo - allcinema(スティングレイ). 2020年9月23日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j 下條アトム、『鉄腕アトム』より先に生まれた本名の由来。同級生に“あの名前”の女子も”. テレ朝POST. テレビ朝日 (2018年9月21日). 2018年10月16日閲覧。
  8. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.546
  9. ^ 週刊TVガイド 1985年4月20日号『今夜は最高!』番組紹介より。
  10. ^ ナレーター・下條アトム、“ウルルン口調”「出会ったぁ~」の誕生秘話語る”. オリコン (2009年1月24日). 2015年1月20日閲覧。
  11. ^ DVD 仮面ライダー響鬼 第十一巻
  12. ^ ふきカエルインタビュー 音響演出家 河村常平さん”. 吹替え専門サイト ふきカエル大作戦!!. 日本俳優連合日本音声製作者連盟日本芸能マネージメント事業者協会日本声優事業社協議会 (2015年12月11日). 2016年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月14日閲覧。
  13. ^ ふきカエルインタビュー 音響演出家 河村常平さん”. 吹替キングダム. フィールドワークス (2015年12月11日). 2023年10月7日閲覧。
  14. ^ a b 大逆転 / TRADING PLACES (DVD) - Paramount Pictures. 2023年9月22日閲覧。
  15. ^ 今週のおすすめ 2023年11月24日(金)新作映画『ほかげ』/ 旧作映画『星の王子ニューヨークへ行く』”. CINEMORE (2023年11月24日). 2024年3月19日閲覧。
  16. ^ 今夜の「嵐にしやがれ」は…超いい加減な男・大泉洋さんが登場!番組初!嵐が大泉洋に教えるぞSP!”. 日本テレビ (2013年3月2日). 2021年1月1日閲覧。
  17. ^ ベッキー、蒼井優、松岡茉優…「おはガール」に山寺宏一がした“あるお願い”とは?”. テレ朝POST (2018年3月7日). 2021年1月2日閲覧。
  18. ^ “下條アトムが語る『ウルルン滞在記』の独特な節回し誕生秘話”. NEWSポストセブン (小学館). (2020年8月27日). https://www.news-postseven.com/archives/20200827_1589223.html/2 2021年1月17日閲覧。 
  19. ^ ドクタードリトル2 - テレビ東京. 2022年4月8日閲覧。
  20. ^ TOPページ - 世界ウルルン滞在記(毎日放送). / 世界ウルルン滞在記2019 公式(@ururun_official) - X(旧Twitter). : 2025年2月15日閲覧。
  21. ^ TOPページ”. 世界ウルルン滞在記. 毎日放送. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ2025年2月15日閲覧。
  22. ^ ACジャパン広告作品アーカイブ (9ページ目) | 指1本でできるボランティア - ACジャパン. 2025年2月15日閲覧。
  23. ^ 海外引揚者の証言 第一回 娘よ!~満州編~”. 【ライブラリー情報】[社会教育]-[平和教育]-[詳細]. 高知県生涯学習支援センター (2003年8月19日). 2025年2月15日閲覧。
  24. ^ 放送内容 冬の風物詩 日本の里 ふるさと再発見 - 土曜スペシャル(テレビ東京). 2025年2月15日閲覧。
  25. ^ 北野流ジジイ映画の作り方!「龍三」特典映像で下條アトムがナレーション”. 映画ナタリー. ナターシャ (2015年8月18日). 2015年8月18日閲覧。
  26. ^ “下條アトムさん死去 最後の仕事はCMナレーション 収録は急性硬膜下血腫発症前で昨年10月から放送”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2025年2月13日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/02/13/kiji/20250213s00041000163000c.html 2025年2月15日閲覧。 
  27. ^ ステレオドラマ 真夜中に野バラが歌う”. 放送ライブラリー. 放送番組センター. 2022年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月15日閲覧。
  28. ^ 浅田次郎ワールド・鉄道員「ラブ・レター」”. 放送ライブラリー. 放送番組センター. 2022年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月15日閲覧。

外部リンク

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