下方駅
下方駅(しもかたえき)は、岐阜県揖斐郡大野町大字下方にあった名古屋鉄道揖斐線の駅。
下方駅 | |
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全景(2005年3月撮影) | |
しもかた SHIMOKATA | |
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所在地 |
岐阜県揖斐郡大野町大字下方 北緯35度26分55秒 東経136度38分12秒 / 北緯35.448674度 東経136.636585度 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 揖斐線 |
キロ程 | 10.8 km(忠節起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
129人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1926年(大正15年)10月1日 |
廃止年月日 | 2005年(平成17年)4月1日 |
歴史
編集揖斐線の前身である美濃電気軌道が美濃北方駅(当時の駅名は北方町駅)から黒野駅までの区間を延伸させた際に開業した駅である。揖斐線は2005年(平成17年)に全線が廃止され、当駅もあわせて廃駅となった。
- 1926年(大正15年)4月6日 - 美濃電気軌道北方線の北方町駅(のちの美濃北方駅) - 黒野駅間の開業と同時に開設[2][3]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の揖斐線の駅となる[3]。
- 1948年(昭和23年)11月1日以前 - 無人化[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線の忠節駅 - 黒野駅間の営業が廃止され、廃駅[5]。
駅構造
編集ホーム1本のみの停留場であった。駅の前後の区間は天井川である根尾川(藪川)を渡るための鉄橋に続く築堤上にあり、駅もこの築堤上という高所にあった[6]。後述写真の通りに駅跡の高架に直接上がる事が出来ず、後に道路のガード整備がされたためにホームも撤去されている。
配線図
編集 ← 黒野方面 |
→ 忠節方面 |
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凡例 出典:[7] |
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駅全景(2017年5月)
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駅高架入り口跡(同左)
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堤防からの駅跡(同左)
利用状況
編集代替交通手段
編集- 岐阜バス・大野デマンドタクシー[8][9][11]:下方バス停留所(下方駅跡から北200メートル先)
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月13日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、881頁。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52-53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、143頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ “岐阜バス路線「黒野八幡町バス停」「下方バス停」に上屋について”. 大野町役場政策財政課 (2015年1月3日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ “デマンドタクシー停留所(H29.4.1改正)” (PDF). 大野町役場政策財政課 (2017年4月1日). 2017年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ “大野デマンドタクシー「あいのりくん」の自宅前登録申請について”. 大野町役場政策財政課. 大野町 (2017年3月1日). 2017年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ 大野デマンドタクシーは大野町の認定で利用可能[10]。
参考文献
編集- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。