下平和夫
生涯
編集1957年、東京教育大学理学部数学科卒業。1967年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了、前橋市立工業短期大学助教授、のち教授。1978年、「初期円理の発達 関孝和の業績の根源」で日本大学より学術博士の学位を取得[1]。1983年、国士舘大学教授。在職中に死去。
著書
編集単著
編集- 『数学書を中心とした和算の歴史』富士短期大学出版部、1965-70 東西数学シリーズ
- 『日本人の数学 和算』河出書房新社、1972 のち講談社学術文庫
- 『日本人の数学感覚 なぜ計算がうまいのかー「そろばん文化」の構造』PHP研究所、1986 21世紀図書館
- 『関孝和 江戸の世界的数学者の足跡と偉業』研成社、2006
共著
編集出典・脚注
編集- ^ “初期円理の発達 : 関孝和の業績の根源 下平和夫”. 国立国会図書館. 2012年7月20日閲覧。
参考
編集- 関孝和―江戸の世界的数学者の足跡と偉業 - 紀伊國屋書店BookWeb
- 下平和夫先生業績年表 (下平和夫先生追悼号)「数学史研究 別冊」1995:NAID 40001996151