下山芳晴
日本の裁判官
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経歴
- 1953年大阪府生まれ。母は堺市の眼科医で、前衛俳人の八木三日女。弟は大阪商業大学教授の下山晃(俳号:志波響太郎)。
- 東京大学文科I類入学。東大学生俳句会に所属し、俳号は米元元作。
- 東京大学法学部卒業。
- 1981年、司法試験合格。
- 1984年4月、浦和地裁に判事補として任官。
- 以後、1990年までの間に、和歌山地裁、和歌山家裁、和歌山簡裁、東京家裁、東京簡裁に勤務。
- 1990年から1993年まで、検事として法務省に出向。
- 1993年から1994年まで、東京地裁、東京簡裁に勤務。
- 1994年4月から判事となり、2004年までの間に新潟地家裁三条支部、三条簡裁、東京地裁、東京簡裁、さいたま地裁、さいたま家裁、さいたま簡裁に勤務(改称前の浦和地方裁判所等も含む)。
- 2004年4月、甲府地家裁都留支部判事(支部長)兼都留簡裁判事。
- 2008年4月1日、宇都宮地家裁足利支部判事(支部長)兼足利簡裁判事。
- 2008年4月23日、足利支部長の職を解かれ、宇都宮地裁判事兼宇都宮簡裁判事。
裁判所職員に対するメール送りつけ事件
刑事裁判
2008年5月21日、ストーカー規制法違反容疑で山梨県警により逮捕された。甲府地家裁都留支部長在任中の同年2月から3月にかけて、女性の裁判所職員の携帯電話に匿名で「今度いつ会えるかなぁ」などのメールを16回にわたって送りつけたとして、この職員が山梨県警に告訴していた。
同年6月10日、甲府地検は甲府地裁に起訴した。初公判が、7月25日に行われ、被告人として起訴事実を認めたことから、検察官が懲役6月を求刑して、即日結審。8月8日に、懲役6月・執行猶予2年の有罪判決がなされた。
裁判官弾劾裁判
2008年6月13日、東京高裁は「裁判官としての威信を損なう非行があり、罷免の理由がある」と最高裁に報告。同年6月16日、最高裁は臨時の裁判官会議を開き、国会の裁判官訴追委員会に対し、裁判官弾劾裁判所に下山の罷免訴追を行うよう請求した。これを受けて、同年9月9日、裁判官訴追委員会(臼井日出男委員長)が、裁判官弾劾裁判所に対して訴追を議決した。
弾劾裁判の公判は、麻生内閣成立を受けて衆議院解散の可能性があったことから、期日の決定が遅れたが、同年12月3日、裁判官弾劾裁判所において初公判が行われた。同年12月24日、裁判官弾劾裁判所(松田岩夫裁判長)から罷免判決を言い渡されて、裁判官を罷免され、法曹資格を失った。裁判官の罷免はこれまで6人目。
その後、大学職員等として働いていたが、2016年5月17日に法曹資格を回復。
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ “下山芳晴裁判官(36期)の経歴”. 弁護士山中理司のブログ (2019年4月20日). 2024年9月29日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2008年9月9日
- ^ “「覚悟決めた」と下山判事 裁判官訴追小委の聴取に”. 47NEWS. 共同通信. (2008年7月7日) 2011年3月6日閲覧。