上野真一
上野 真一(うえの しんいち、1951年6月7日[1] - )は、京都府出身のレーシングライダー。元ヤマハのワークスライダー、全日本ロードレース選手権1978年A級750ccチャンピオン[2]。
上野 真一 | |
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XJ750E (1983年) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1951年6月7日(73歳) |
出身地 | 京都府 |
デビュー | 1972年 |
過去所属 | Teamレーシングスポーツ |
優勝回数 |
全日本RR 750cc 2勝 全日本RR 500cc 1勝 全日本RR TT-F1 1勝 |
過去参加シリーズ | |
197? - 1980 1981 - 1983 1984 - 1986 1983 - 1985 |
750cc 500cc TT-F1 鈴鹿8耐 |
選手権タイトル | |
1978 | 全日本RR 750cc |
経歴
編集1972年、ノービス250ccクラスにデビューする。1978年、A級750ccクラスでYZR750にてチャンピオン獲得。1980年を最後に750ccクラスが廃止されたため、1981年より新設されたGP500ccクラスに転向。1983年第4戦筑波で平忠彦とトップ争いの末500ccクラス初優勝を挙げ、ランキング3位を獲得。1984年からヤマハとワークス契約、XJ750 (OU28) でTT-F1クラスに参戦を始める。翌1985年からはFZR750 (OW74) の開発を担当する。
鈴鹿8時間耐久レースでは1984年、XJ750 (OU28) (シャフトドライブ車)を社内改造したマシンで河崎裕之と組み出場。予選6位タイムを記録し、決勝レースで上位走行するも、終盤残り数周というところで日本人最上位である4位走行中にトラブルが発生しスローダウン、5位となった[3]。1985年全日本選手権ではFZR750の開発もかねてTT-F1クラスに参戦、YZF750と名称が変更された1986年も、第4戦鈴鹿で優勝するなど上位を争い、ランキング6位を獲得。1986年シーズン終盤からレース実戦への参戦機会を減らしたが、1988年までヤマハ・YZF750の開発ライダーを務めた。
レース戦歴
編集全日本ロードレース選手権
編集鈴鹿8時間耐久ロードレース
編集年 | チーム | ペアライダー | 車番 | マシン | 予選順位 | 決勝順位 | 周回数 |
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1983 | ヤマハ | 鈴木修 | 29 | ヤマハ・XJ750E | 16位 | 37位 | 118 |
1984 | ヤマハ | 河崎裕之 | 54 | ヤマハ・XJ750 | 6位 | 5位 | 182 |
1985 | ヤマハ | 河崎裕之 | 25 | ヤマハ・FZR750 | 10位 | 32位 | 169 |
参考文献
編集- RACERS Vol.09 YAMAHA 4ストロークレーサーの歴史はここから始まった(ISBN 978-4-7796-1214-5) 2011年
脚注
編集- ^ Rider Album 上野真一 日本のレーシングモーターサイクル栄光の歩み モーターサイクリスト12月号増刊 273頁 八重洲出版 1988年12月15日発行
- ^ 歴代チャンピオン MFJ SUPERBIKE
- ^ LEGENDARY MACHINES1984年:XJ750R(0U28) ヤマハ発動機 鈴鹿8時間耐久スペシャルサイト
タイトル | ||
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先代 毛利良一 |
全日本選手権F750 チャンピオン 1978 |
次代 水谷勝 |