上越市立浦川原中学校
新潟県上越市にある中学校
上越市立浦川原中学校(じょうえつしりつうらがわらちゅうがっこう)は、新潟県上越市浦川原区にある市立中学校。令和5年度に閉校。
上越市立浦川原中学校 | |
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北緯37度09分35秒 東経138度25分26秒 / 北緯37.15967度 東経138.42394度座標: 北緯37度09分35秒 東経138度25分26秒 / 北緯37.15967度 東経138.42394度 | |
過去の名称 | 下保倉村立下保倉中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 上越市 |
学区 | 浦川原小学校の通学区域 |
併合学校 |
浦川原中学校 中保倉分校 浦川原中学校 月影分校 |
設立年月日 | 1947年5月1日 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C115222200111 |
中学校コード | 150238 |
所在地 | 〒942-0314 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集上越市浦川原区にある唯一の中学校である。通称は「浦中(うらちゅう)」。
国道253号から学校への道は、高低差が約20m、道路長が約100mのかなり急峻な坂道を登ることになる。この坂を車で通過する来校者や教職員に対して、登下校中の生徒は立ち止まってお辞儀をするので、「あいさつ坂」と呼ばれている。
また、冬季は特別豪雪地帯に指定されるほどの雪が降り積もる。大雪の日は、生徒の登下校はもちろん、教職員の通勤も困難を極める。
歴史
編集- 1947年5月1日:下保倉村立下保倉中学校として開校。
- 1955年4月1日
- 隣接する下保倉村・安塚村の一部(中保倉、月影地区)が合併。浦川原村が設置され、以降の設置者は浦川原村となる。
- 安塚村立安塚中学校の中保倉、月影分校の本校機能を継承。
- 1958年4月1日:校名変更、浦川原中学校。
- 1959年1月10日:浦川原村立下保倉小学校の校舎から独立、現在地に校舎を移転。移転に伴う工事中に縄文時代後期の土器、石器類が出土。
- 1959年4月7日:中保倉分校を廃止。
- 1959年12月22日:体育館を設置。
- 1966年3月26日:月影分校を廃止。
- 1966年11月20日:豪雪地帯、僻地の特性から冬季寄宿舎「銀杏寮」を設置。
- 1993年3月25日:体育館を建て替え。
- 1994年3月27日:校舎を建て替え。
- 1995年12月1日:グラウンド整備実施。
- 1997年11月2日:創立50周年、記念式典開催。
- 2001年3月31日:銀杏寮を廃止。
- 2005年1月1日:市町村合併。浦川原村の廃止に伴い、設置者および所在地が上越市となる。
- 令和5年度:閉校
教育方針
編集教育目標
編集- おおらかに、たくましく生きぬく生徒
重点目標
編集- 自ら学ぶ意欲を高め、確かな学力を育む授業の充実
- 豊かな心と主体的に生きる力を育てる特別活動・部活動の充実
- 将来の生き方を考えさせる体験活動の充実
- 地域とともに歩む学校の実現に向けた、家庭や地域との連携強化
学校行事
編集
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生徒会活動
編集- 生徒会本部会
- 広報委員会
- 生活向上委員会
- 放送委員会
- 健康委員会
- 体育応援委員会
- 代議員会
部活動
編集- 運動系部活動
- 女子バスケットボール部
- 野球部
- 剣道部
- 陸上競技部
- 文化系部活動
- 吹奏楽部
- 文化部
通学区域
編集浦川原小学校の通学区域[1]
進学前小学校
編集交通
編集脚注
編集- ^ “学校区(小学校・中学校区) - 上越市ホームページ”. www.city.joetsu.niigata.jp. 2023年4月12日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
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