上行寺 (鎌倉市)
神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院
上行寺(じょうぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市大町に所在する日蓮宗寺院で、山号は法久山、院号を大前院という。創建は正和2年(1313年)で、開山は日範上人。本尊は三宝祖師。癌封じの寺として知られる。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)、小西法縁。
上行寺 | |
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山門 | |
所在地 | 神奈川県鎌倉市大町2-8-17 |
位置 | 北緯35度18分49.9秒 東経139度33分17.4秒 / 北緯35.313861度 東経139.554833度座標: 北緯35度18分49.9秒 東経139度33分17.4秒 / 北緯35.313861度 東経139.554833度 |
山号 | 法久山[1] |
院号 | 大前院[1] |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 三宝祖師 |
創建年 | 正和2年(1313年)[1] |
開山 | 日範[1] |
開基 | 不明 |
正式名 | 法久山 大前院 上行寺 |
法人番号 | 6021005001901 |
概史
編集正和2年(1313年)、日範上人の創建。
本堂は1886年(明治19年)に名越の妙法寺の法華堂を移築したものといわれており、堂内には日蓮上人像や開山の日範上人像、水天像などが安置されているほか、格天井には花鳥の絵、欄間には十二支の彫刻が施されている。境内には万病、特に癌に効があるといわれている瘡守稲荷堂や、大小の鬼子母神をまつる浄行堂がある。また、山門には左甚五郎作といわれる竜の彫物が、本堂の表欄間や梁などには熊本藩の大名細川氏による竜の彫物がある[2]。
万延元年(1860年)、桜田門外の変で大老の井伊直弼を襲撃した水戸浪士の一人である広木松之介は、鎌倉へ逃れた際に上行寺にかくまわれたというが、同志が刑死した事を知り、後文久3年(1863年)の3月3日に切腹したという[3]。境内墓地には松之助の墓があり、1916年(大正5年)には石碑が建造された[4]。
交通
編集脚注
編集参考文献
編集- 『鎌倉の寺社122を歩く』 PHP研究所〈PHP新書〉、2013年1月17日、ISBN 978-4-569-81035-5
- 『鎌倉古社寺辞典』 吉川弘文館、2011年7月、ISBN 978-4-642-08060-6
- 『鎌倉の寺 小辞典』 かまくら春秋社、2001年6月、ISBN 978-4-774-00173-9
- 『かまくら子ども風土記』 鎌倉市教育委員会、2009年3月
- 『鎌倉観光文化検定 公式ガイドブック』 鎌倉商工会議所、2011年10月、ISBN 978-4-7740-0538-6
- 『鎌倉史跡事典』新人物往来社、奥富忠之、ISBN 978-4404024527
- 「山之内庄大町村上行寺」『大日本地誌大系』 第39巻新編相模国風土記稿4巻之87村里部鎌倉郡巻之19、雄山閣、1932年8月、297頁。NDLJP:1179229/154。