上田 善七(うえだ ぜんしち、1854年安政元年〉- 1932年昭和7年〉)は、北海道札幌市中央区円山の基礎を築いた開拓者たちの中心人物。

円山会館の「善徳翁」碑
円山西町神社の「善徳翁」碑

同様に円山の発展に尽くした上田万平の弟である。

来歴

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1854年安政元年)、南部藩士・中村甚四郎の3男として生まれるが、兄の万平ともども上田家の養子となり以後は当家の姓を名乗る[1]

1871年明治4年)3月、開拓使の募集に応じて万平とともに円山に入植する[1]

1874年(明治7年)、開拓使の農業現術生となるが、命令により約1年間の樺太警備に回される。帰還後は開拓使刑法局囚獄課詰となり、また農業の勉強を再開して1級農業現術生となる。その後いったんは開拓使民事局で働くが、1880年(明治13年)に退職する[1]

1883年(明治16年)には円山教育所の世話係となり、学田経営にあたる。また1900年(明治33年)には学務委員となる[2]

1914年大正3年)、北海道庁の許可を得て、万平とともに円山登山道を切り開いた[3]

1915年(大正4年)、円山消防組を組織し、その組頭を務める。さらに藻岩村衛生組合長としても働く。一方、農業面でも精力的に活動を続けており、村農会長や畜牛組合藻岩村を歴任する[2]

1932年(昭和7年)没[2]。享年79。

脚注

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  1. ^ a b c 片岡 2012, p. 45.
  2. ^ a b c 片岡 2012, p. 46.
  3. ^ 片岡 2012, p. 125.

参考文献

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  • 片岡秀郎『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2