上島三之助
上島 三之助 清忠(うえしま さんのすけ きよただ、1893年 - 1987年)は、日本の武道家である。大阪で空真流を発展させた。
うえしま さんのすけ 上島 三之助 | |
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生誕 |
1893年??月??日 兵庫県赤穂市 |
死没 |
1987年(94歳) 大阪府 |
国籍 | 日本 |
流派 |
空真流 今真流柔捕術 大日本武徳会柔道 |
経歴
編集3歳のとき、兵庫県赤穂市で上島作治郎、松原嘉年、赤田政治から今真流柔捕術を学び始める。 9歳のとき、沖縄出身の赤穂市警察官上島菅から空手型のピンアンとクーシャンク(公相君)を教わり研究を始めた[1]。
1918年、25歳で上島は今真流柔捕術の教授に任命された[1]。 上島は号を受け取った後、大阪市に移り1925年(大正14年)上島柔道場を開設。また沖縄の空手教師数名がそこで空手も練習し、教えた[1]。 教授陣は以下のとおり:
空真流を創始
編集上島は1932年、今真流と剛柔流空手から発展した空真流空手道を創設。 1933年、大日本武徳会が上島に柔道の教授師範を授与し、1935年には宮城長順 (剛柔流の創設者)および小西康裕(神道自然流開祖)らと教士の称号を初めて授与。1937年、金城から上島は小林流と剛柔流を教わった。
1940年、大日本武徳会が金城に連士の称号を授与した。 第一次世界大戦後の1946年、大日本武徳会は解散した。 1965年、上島は講道館柔道で八段位を授与。 金城は出身地の沖縄に戻り、空真流を広めた。