上原美佐 (1937年生)
上原 美佐(うえはら みさ、1937年3月26日[1] - 2003年[2][3][4][5])は、日本の女優。福岡県福岡市出身。本名は上原 美佐子(うえはら みさこ)[1]。
うえはら みさ 上原 美佐 | |
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『小説倶楽部』1958年9月号(桃園書房) | |
本名 | 上原 美佐子(うえはら みさこ) |
生年月日 | 1937年3月26日 |
没年月日 | 2003年 |
出生地 | 日本・福岡県福岡市 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1958年 - 1960年 |
活動内容 |
1958年 東宝 1960年 引退 |
主な作品 | |
『隠し砦の三悪人』(1958年) 『日本誕生』(1959年) |
同名異人の女優が他に二人いるため(上原美佐 (1954年生)、上原美佐 (1983年生))、混同しないよう注意が必要。
経歴
編集福岡県福岡市生まれ。福岡市立福岡女子高等学校卒業後、文化女子短期大学に進学。在学中に師事した徳川義親のもとを訪れた際に、東宝の社員の目に留まり、黒澤明の新作『隠し砦の三悪人』のヒロイン役に抜擢された。後述する1981年の黒澤・千秋実・藤原釜足とのテレビ対談では、名古屋の東宝系の映画館へ行った際に東宝の社員から声を掛けられた、と本人は語っている。当時、上京の折には徳川の家に泊まり、徳川の行く先々について回ったため「徳川家の孫娘」と噂されたこともあった[7]。黒澤はあくまで上原の「気品と野生の二つの要素がかもしだす異様な雰囲気」[8]を評価したとされる。
1958年春、東宝は上原、『二人だけの橋』(3月5日公開)の久保明の相手役に抜擢された水野久美、『杏っ子』(5月13日公開)でスクリーンデビューを果たす三井美奈の3人を「スリー・ビューティーズ」として売り出した[6]。
同年5月27日、『隠し砦の三悪人』はクランクイン[9]。撮影にあたり、上原は馬術を習い、障害を跳べるまでになった。そのほか、武家の姫らしい身のこなしのために剣道も習った。演技は初めてでまったくの素人だったため、そのつど黒澤が演じてみせ、その通りに従い進めていったという[10]。同年12月28日、『隠し砦の三悪人』公開。
凛とした顔立ちと躍動感溢れる演技で人気を博し、一躍スターとなるが、本人は「私には才能がない。」と2年で引退した[8]。
1981年4月4日、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』において、『隠し砦の三悪人』放送後に黒澤と千秋と藤原と上原の四人が揃って出演して当時を振り返った。この時すでに女優業を引退していた上原は「その後引退。現在2児の母親として主婦業に専念している。」とテロップで紹介されていた。
出演作品
編集脚注
編集- ^ a b 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年、76頁。
- ^ ネット上では2003年に亡くなったという情報が流れているが、早々に女優業を引退して一般人となっているため公式な記録ではない。
- ^ allcinema. “上原美佐”. allcinema. 2024年12月12日閲覧。
- ^ “上原美佐 - まいり”. mairi.me. 2024年12月12日閲覧。
- ^ “面白い! 黒澤明 『隠し砦の三悪人』 [2]”. J・KOYAMA. 2024年12月12日閲覧。
- ^ a b 『映画情報』1958年4月号、国際情報社。
- ^ 内外タイムス文化部編『ゴシップ10年史』(三一新書、1964年)p.63-64
- ^ a b 『女優ベスト150 わが青春のアイドル』180-181頁。
- ^ 「製作メモランダ」『全集黒澤明』第4巻、岩波書店、1988年2月、432-433頁、ISBN 9784000913249。
- ^ 黒水仙 (2018年6月27日). “『隠し砦の三悪人』 日本の美18(3ページ)”. カイエ・デ・モード. 2024年12月13日閲覧。
- ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」
参考文献
編集- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 文藝春秋編 『女優ベスト150 わが青春のアイドル』 1990年。ISBN 4168116123
外部リンク
編集- 上原美佐 - 日本映画データベース
- 上原美佐 - KINENOTE