上ミ山古墳
上ミ山古墳(かみやまこふん)は、和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見にある古墳。形状は円墳。出土品は和歌山県指定有形文化財に指定されている。
上ミ山古墳 | |
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所在地 | 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見 |
位置 | 北緯33度32分59.25秒 東経135度29分6.57秒 / 北緯33.5497917度 東経135.4851583度座標: 北緯33度32分59.25秒 東経135度29分6.57秒 / 北緯33.5497917度 東経135.4851583度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径40m 高さ4m |
埋葬施設 |
横穴式石室2基 箱式石棺1基 |
出土品 | 副葬品多数・土器 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
有形文化財 | 出土品(和歌山県指定文化財) |
地図 |
概要
編集和歌山県南部、周参見湾西方の丘陵(上ミ山、標高81メートル)山頂に築造された古墳である[1][2]。1970年(昭和45年)の宅地造成工事の際に発見されたが大きく削平を受けているほか、1971年(昭和46年)にすさみ町教育委員会による発掘調査が実施されている[1][2]。
墳形は円形で、直径40メートル・高さ4メートル程度と推定されるが[1][2]、現在はその4分の3が失われている[2]。墳丘外表では供献土器群が検出されているが、葺石・埴輪は認められていない[2]。埋葬施設は横穴式石室2基・箱式石棺1基で、東西の横穴式石室の間に箱式石棺が位置した。これらのうち西横穴式石室と箱式石棺は失われているが、残された東横穴式石室からは多数の副葬品が検出されている[1][2]。築造時期は古墳時代後期頃と推定される[2]。横穴式石室の古墳としては本州で最南端に位置するとして注目される古墳になる[2]。
埋葬施設
編集埋葬施設は東西2基の横穴式石室と、その間の箱式石棺1基からなる[2]。3基のうち西横穴式石室・箱式石棺は現在は失われており、詳らかでない[1]。
東横穴式石室は右片袖式で、南方に開口する[2]。玄室の平面形はほぼ正方形で、長さ2.3メートル、幅2.1メートル、高さ1.5メートルを測る[2]。側壁は割石の小口積みで構築され、その上に板石5段で持ち送って天井石2枚を架けており、壁面では朱の痕跡が認められている[2]。この石室の構造には九州地方中部・北部の石室との類似性が指摘される[2]。玄室内では奥壁と平行の仕切り石(石障)をもって3区画の屍床が形成され、奥壁から順に第1区・第2区・第3区屍床と呼ばれる[2]。いずれも東枕で、遺骸は腐朽していたものの多数の副葬品が検出されている(内容は後掲)[2]。
文化財
編集和歌山県指定文化財
編集- 鉄刀 3本
- 鉄製弓飾り金具 8点
- 鉄矛 1本
- 鉄鏃(破片) 49本
- 鉄斧 2個
- 鉄鉇 1本
- 鉄鑿 1本
- 鉄製刀子 4本
- 砥石 2個
- 水晶製棗玉 1点
- 琥珀製棗玉 4点
- 埋木製棗玉 20点
- 水晶製切子玉 8点
- 水晶製算盤玉 6点
- 水晶製丸玉 16点
- 琥珀製丸玉 1点
- 碧玉製平玉 3点
- 碧玉製管玉 11点
- ガラス製管玉 1点
- ガラス製丸玉 1点
- ガラス製小玉 226点
- 須恵器高坏 3個
- 須恵器鈴付高坏 1個
- 須恵器坏身 5個
- 須恵器坏蓋 5個
- 須恵器広口壺 1個
- 須恵器広口壺破片 4点
- 須恵器短頸壺破片 1点
- 須恵器𤭯破片 3点
関連施設
編集- すさみ町立歴史民俗資料館(すさみ町周参見) - 上ミ山古墳出土品等を保管・展示。
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(すさみ町文化財審議委員会・すさみ町教育委員会、1976年設置)
- 「上ミ山古墳」『日本歴史地名大系 31 和歌山県の地名』平凡社、1983年。ISBN 458249031X。
- 辻林浩「上ミ山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 黒石哲夫「本州最南端の横穴式石室 -すさみ町 上ミ山古墳の出土遺物-」『地宝のひびき -和歌山県内文化財調査報告会 資料集- (PDF)』公益財団法人和歌山県文化財センター、2015年、10-13頁。 - リンクは和歌山県文化財センター。
関連項目
編集- 下里古墳(東牟婁郡那智勝浦町下里) - 本州最南端の前方後円墳。