三重県立南勢病院
三重県宇治山田市にあった病院
沿革
編集1874年(明治7年)より病娼治療は山田病院で行われていたが、山田病院が火災により焼失し廃院となったため、1876年(明治9年)に津検ばい所山田出張所を設置した。1911年(明治44年)には三重県立南勢病院となったが、時代の推移とともに公娼が認められなくなったため、1944年(昭和19年)に廃止される。
年表
編集- 1876年(明治9年)4月 - 山田曽祢町(現・伊勢市曽祢)に津検ばい所山田出張所が設置される。
- 1884年(明治17年)11月 - 山田岩淵町(現・伊勢市岩渕)に移転、山田ばい毒病院を設立する。
- 1898年(明治31年)4月 - 宇治山田駆ばい院と改称する。
- 1911年(明治44年)10月 - 三重県立南勢病院と改称する。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 三重県立洞津病院(津市)と三重県立紀北病院(北牟婁郡尾鷲町、現・尾鷲市)の廃止に伴い、洞津病院の一部と紀北病院の管轄区域を引き継ぐ[1]。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 三重県立洞津病院と三重県立紀北病院の再開に伴い、従来の管轄区域に戻る[2]。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 三重県立紀北病院の廃止に伴い、紀北病院の管轄区域を引き継ぐ[3]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 三重県立南勢病院が廃止、南勢病院の管轄区域は三重県立泗水病院(四日市市)に引き継がれる[4]。
参考文献
編集- 伊勢市 編『伊勢市史』(1968年発行、1982年再版)
- 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』(1929年発行、1988年復刻、国書刊行会)
- 倉田正邦 校訂『宇治山田明治年代記』(1982年発行、三重県郷土資料刊行会)
脚注
編集- ^ 「三重県公報 昭和12年3月20日 第2826号」 昭和12年3月20日 三重県告示第313号、第314号
- ^ 「三重県公報 昭和14年3月14日 第3400号」 昭和14年3月14日 三重県告示第180号
- ^ 「三重県公報 昭和18年3月31日 号外」 昭和18年3月31日 三重県告示第217号
- ^ 「三重県公報 昭和19年3月31日 号外」 昭和19年3月31日 三重県告示第267号、第268号