三菱重工広島硬式野球部
かつて存在した日本の社会人野球チーム
三菱重工広島硬式野球部(みつびしじゅうこうひろしまこうしきやきゅうぶ)は、広島県広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2020年シーズンをもって活動を終了した。
チーム名(通称) | 三菱広島、三菱重工広島、広製 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム(2004年 - 2008年途中までクラブチーム) |
創部 | 1946年 |
廃部 | 2020年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 三菱広島グラウンド(広島県広島市西区) |
チームカラー | 赤色、黒色 |
監督 | 町田公二郎(2020年の活動停止時) |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 17回 |
最近の出場 | 2020年 |
最高成績 | 優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 18回 |
最近の出場 | 2018年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
概要
編集戦後間もない1946年に、三菱重工業の広島製作所で『三菱重工広島硬式野球部』として創部。
1974年の日本選手権に初出場し4強入りし、1979年には都市対抗野球で初出場・初優勝を果たした。
2004年、三菱重工業本社の方針により会社登録の運動部からクラブチームへの降格が言い渡されたが、チームはこれをバネに奮起し、翌2005年には9年ぶりに都市対抗野球への出場を決めた。
2008年9月、クラブ登録から再び会社登録の企業チームへ変更された[1][2]。
2020年12月、野球部の活動を終了し、75年間の歴史に幕を下ろした[3]。
補強選手で巧みに弱点をカバーすることにより都市対抗野球本選で、優勝1回(1979年)、準優勝1回(1996年)、4強2回(1986、2015年)、通算24勝16敗(勝率.600)と好成績を収めた。
沿革
編集練習場
編集主要大会の出場歴・最高成績
編集主な出身プロ野球選手
編集元プロ野球選手の競技者登録
編集かつて在籍していた選手
編集脚注
編集- ^ 社会人野球:三菱重工広島野球部が会社登録に - 毎日jp(毎日新聞)
- ^ “チーム情報 2008年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2016年12月17日閲覧。
- ^ “三菱重工広島硬式野球部後援会” (jp). Mitsubishi Heavy Industries, Ltd.. 2021年2月1日閲覧。
- ^ 都市対抗野球:中国予選、三菱重工広島が辞退 選手不祥事 毎日新聞 2018年5月25日
- ^ “三菱重工 | 三菱重工グループ全体でスポーツ活動を推進し社会に貢献 「社会貢献・CSR」「社員エンゲージメント」「企業ブランド」を向上”. Mitsubishi Heavy Industries, Ltd.. 2020年3月22日閲覧。
- ^ “[社会人野球]プロ多数輩出の社会人野球強豪・三菱重工名古屋が事実上の「廃部」…OBの中日・勝野も「寂しい」”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2020年3月21日閲覧。