三矢 宮松(みつや みやまつ、1880年明治13年)10月23日[1] - 1959年昭和34年)1月10日[2])は、日本内務官僚宮内官僚。愛刀家[3]

三矢宮松

来歴

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山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)に庄内藩士・三矢維顕の三男として生まれる。東京府立第四中学校第一高等学校を卒業。1907年(明治40年)7月、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1]。同年11月に高等文官試験行政科に合格し、文部属を経て、内務省に入省[1]

岐阜県事務官福井県事務官、奈良県警察部長三重県警察部長宮城県警察部長京都府警察部長福井県内務部長を歴任し、1918年大正7年)に休職となった[4]1920年(大正9年)、警察講習所教授に任じられ、内務書記官、内務参事官、内務監察官を務めた[4]

1924年(大正13年)9月、朝鮮総督府警務局長に就任。在任中の1925年(大正14年)6月に奉天省警務処処長于珍との間に、奉天省東辺道での朝鮮独立運動の取り締まりを奉天側に委任する『三矢協定』が結ばれた。

1926年(大正15年)、帝室林野局長官に就任[1]1932年(昭和7年)9月に涜職罪で起訴されるが、1934年(昭和9年)11月に無罪判決が下された。1940年(昭和15年)に帝室林野局長官を退官[5]

以後、横浜正金銀行監査役[6]根津美術館館長、帝国ホテル監査役などを務めた。

1946年(昭和21年)10月、公職追放となる[7]1959年(昭和34年)1月10日、死去。享年79 墓所は鶴岡市の本鏡寺。戒名『雙松院殿日光東嶺大居士』。

著書

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  • 『日本刀各時代の様相』(清閑舎、1943年)

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
  3. ^ 三矢宮松名刀幻想辞典
  4. ^ a b 帝国大学出身名鑑 1934.
  5. ^ 『官報』第4180号「授爵・叙任及辞令」1940年12月11日。
  6. ^ 人事興信録 1943.
  7. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』190頁。
  8. ^ 『官報』第7760号「叙任及辞令」1909年5月11日。
  9. ^ 『官報』第8398号「叙任及辞令」1911年6月21日。
  10. ^ 『官報』第353号「叙任及辞令」1913年10月1日。
  11. ^ 『官報』第967号「叙任及辞令」1915年10月21日。
  12. ^ 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。
  13. ^ 『官報』第3351号「叙任及辞令」1923年10月23日。
  14. ^ 『官報』第4260号「叙任及辞令」1926年11月4日。
  15. ^ 『官報』第1470号「叙任及辞令」1931年11月21日。
  16. ^ 『官報』第2978号「叙任及辞令」1936年12月4日。
  17. ^ 『官報』第4183号「叙任及辞令」1940年12月14日。
  18. ^ 『官報』第1357号・付録「辞令」1917年2月12日。
  19. ^ 『官報』第3075号「叙任及辞令」1922年10月30日。
  20. ^ 『官報』第3375号「叙任及辞令」1923年11月21日。
  21. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  22. ^ 『官報』第4052号「叙任及辞令」1926年3月1日。
  23. ^ 『官報』第602号「叙任及辞令」1928年12月29日。
  24. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  25. ^ 『官報』第1830号「叙任及辞令」1933年2月7日。
  26. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  27. ^ 『官報』第4228号「叙任及辞令」1941年2月12日。
  28. ^ 『官報』第4915号「叙任及辞令」1943年6月3日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上巻』人事興信所、1943年。 
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。