三条実平
鎌倉時代初期から中期にかけての公卿
三条 実平(さんじょう さねひら)は、鎌倉時代初期から中期にかけての公卿。太政大臣・三条公房の二男。官位は正三位・非参議、左中将。右大臣・三条実親の同母弟。
時代 | 鎌倉時代初期 - 中期 |
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生誕 | 建久8年(1197年) |
死没 | 不詳 |
官位 | 正三位、非参議、左中将 |
主君 | 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条公房、母:中山忠親の長女 |
兄弟 | 実親、実平、有子、実雲、実誉、教深、御匣殿、九条忠家正室、今小路禅尼 |
子 | 亀山天皇典侍 |
経歴
編集以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
建保元年(1213年)12月14日、侍従に任ぜられる[1]。建保4年(1216年)1月5日、従五位上に昇叙[2]。建保5年(1217年)1月28日、安芸権介を兼ねる。建保6年(1218年)1月5日、正五位下に昇叙。承久3年(1221年)1月5日、従四位下に昇叙[3]。貞応元年(1222年)11月26日、従四位上に昇叙。同年12月8日、禁色を許される。貞応2年(1223年)12月17日、正四位下に昇叙。
嘉禄元年(1225年)1月5日、従三位に叙される[4]。同月7日、侍従は元の如し。同月27日、左中将を兼ねる。嘉禄2年(1226年)1月23日、越中権守を兼ねる。安貞2年(1228年)3月20日、正三位に昇叙。貞永元年(1232年)1月30日、尾張権守を兼ねる。建長元年(1249年)10月13日、父・公房の喪が明けて復任。正嘉元年(1257年)2月、出家。