三条 冬子(さんじょう ふゆこ、1441年(嘉吉元年) - 1489年10月3日(延徳元年9月9日))は、後花園天皇の後宮。父は左大臣の三条実量。上臈局と称した。従三位。
左大臣の三条実量の娘として生まれる。母は正親町三条実雅の養女。後花園天皇の上臈局となり、後土御門天皇にも旧院上臈局として仕えた。以後、清華家出身の宮廷女房は上臈となり、赤青色の衣を許され、陪膳に候した[1]。
1489年(延徳元年9月9日)、死去。享年49[1][2]。
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