三条公兼

日本の江戸時代の公家

三条 公兼(さんじょう きんかね)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿左大臣三条実治の子。官位従三位左近衛中将三条家23代当主。東山天皇(112代)に仕えた。

 
三条公兼
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝7年8月16日1679年9月20日
死没 元文5年(1740年
官位 従三位左近衛中将
主君 東山天皇
氏族 三条家
父母 父:三条実治、母:家女房
兄弟 公兼公充井伊直通正室
広幡豊忠
河鰭輝季実顕
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経歴

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元禄2年(1689年)、叙爵。以降、三条家の嫡男として速いスピードで昇進し、元禄10年(1697年)には従三位となり公卿に列しているが、元禄13年(1700年)になって突然官位を停止させられた。理由は不詳だが、朝廷内で大きな出来事のあった年でもないので彼個人の問題であると考えられる。弟・公充が三条家を相続し、公兼の子・実顕は公充の後を受けて三条家を相続した。

系譜

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脚注

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  1. ^ 改正増補諸家知譜拙記

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