三室村

日本の埼玉県北足立郡にあった村

三室村(みむろむら)は埼玉県北足立郡にあった。後の浦和市三室地区、現在のさいたま市緑区北西部にあたる。山崎、宿、松ノ木、芝原、馬場の5つの組から構成されていた。大宮台地の南東端部に位置していた。

みむろむら
三室村
廃止日 1940年4月17日
廃止理由 編入合併
三室村尾間木村浦和市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,266
国勢調査1935年
隣接自治体 浦和市、片柳村野田村、尾間木村
三室村役場
所在地 埼玉県北足立郡三室村大字三室[1]
座標 北緯35度52分59秒 東経139度40分54秒 / 北緯35.88314度 東経139.68158度 / 35.88314; 139.68158座標: 北緯35度52分59秒 東経139度40分54秒 / 北緯35.88314度 東経139.68158度 / 35.88314; 139.68158
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歴史

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1889年明治22年)4月1日町村制施行に伴い、江戸期からの三室村と道祖土村が合併し、新たな三室村が設置された[2][1]。村役場は大字三室に設置された。

1940年昭和15年)4月17日尾間木村とともに浦和市へ編入されて消滅した[2][3]。村の大字三室および大字道祖土は浦和市へ継承された[1]

大字三室の小字であった山崎、松ノ木、芝原、馬場、宮本[4]は、昭和40年代以降の土地区画整理事業実施に伴う町名地番変更や住居表示の実施に際し、新たな町名として採用された[注釈 1]。宿(西宿、東宿、北宿、南宿)、大古里(おぶさと)、中原後、中原前、原前は大字三室の小字として残っており、公民館や公園、道路の名称に用いられている。

東宿には馬場小室山(ばんばおむろやま)という山(縄文時代遺跡)があって緑地となっており、ここの一部の宅地化の計画を巡って、緑地保存、文化的価値の観点から考古学者や住民と市、業者の間に反対運動があったが、現在は宅地化されている(詳細は当該記事を参照)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 松ノ木は松木となった。また、馬場と宮本は飛地に残存する。

出典

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。 

関連項目

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