三宅諒

日本のフェンシング選手

三宅 諒(みやけ りょう、1990年12月24日 - )は、日本のフェンシング選手(種目はフルーレ)。千葉県市川市出身。慶應義塾大学文学部卒業。ロンドンオリンピック男子団体の銀メダリスト、2014年アジア大会男子団体の金メダリスト。所属事務所は株式会社コモンズ2。

三宅 諒
基本情報
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1990-12-24) 1990年12月24日(34歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県市川市
身長 178cm
体重 72kg
獲得メダル
フェンシング
日本の旗 日本
オリンピック
2012 ロンドン 男子フルーレ団体
アジア選手権
2019 千葉 男子フルーレ団体
オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)

来歴

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幼い頃から棒きれを振り回すのが好きで、保育園在園中になかなか上達しなかった水泳をやめ、フェンシングを始める。競技経験のない父が独自に研究した指導法により指導を受け、小学校6年の時には全国大会で優勝するまで上達する[1]

2007年、慶應義塾高等学校在学中に17歳以下の世界ジュニア・カデ選手権のフルーレ個人で優勝[2]。2012年、アジア選手権大会で3位[3]

ロンドンオリンピックではフルーレ個人、団体の日本代表に選ばれ、個人では初戦敗退したが[4]、団体では太田雄貴千田健太淡路卓とともに準優勝し、銀メダルを獲得した[5]

2013年、アジア選手権大会で個人、団体共に準優勝し、全日本大会でも準優勝。2014年、アジア大会の団体戦において五連覇を狙う中国を接戦で下し金メダルを獲得した。

2023年、現役引退を表明[6]

人物

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2020年、東京オリンピック新型コロナウイルス感染症の流行により延期となるなか、「結果でスポンサーさんにお返しができない中、契約を継続してほしいというのはおこがましい」としてスポンサー契約の一時停止を自ら申し出、生活費や活動費を得るためにアスリートやチームに寄付(ギフティング)などで金銭的な支援を行うサービス「Unlim」を利用すると共に、4月末からUberEatsでアルバイトを始めることとなった[7][8][9]。同年5月にYouTubeチャンネルを開設するなど、様々な挑戦が注目を集めた[7]

脚注

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  1. ^ “フェンシング 三宅 素人の父 快挙導く”. 東京新聞. (2012年8月6日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2012080602000235.html 2012年8月6日閲覧。 
  2. ^ 本校卒業生 三宅諒君がロンドンオリンピックへ(慶應義塾高等学校、2012年8月6日閲覧)
  3. ^ ロンドンオリンピックフェンシング代表紹介 (PDF) (日本フェンシング協会、2012年8月6日閲覧)
  4. ^ “三宅初戦敗退「力不足」/フェンシング”. 日刊スポーツ. (2012年7月31日). http://london2012.nikkansports.com/fencing/news/f-sp-tp0-20120731-993003.html 2012年8月6日閲覧。 
  5. ^ “日本、伊に敗れ「銀」…男子フルーレ団体”. 読売新聞. (2012年8月6日). https://web.archive.org/web/20160304074809/http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/fencing/1/20120806-OYT1T00178.htm?from=popin 2012年8月6日閲覧。 
  6. ^ “三宅が現役引退 フェンシング”. 時事ドットコム. (2023年4月4日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023040400611&g=spo 2024年3月15日閲覧。 
  7. ^ a b 報知新聞社 (2020年10月24日). “フェンシング・三宅諒、突き詰めるマルチな剣士…明かした五輪への思いと未来予想図”. スポーツ報知. 2020年11月18日閲覧。
  8. ^ フェンシング三宅諒がアルバイト決意 五輪メダリストが配達員になる -スポニチ
  9. ^ 五輪メダリスト三宅諒「週4でUberバイト」でもスポンサーを止めたワケと今の“願い””. 週刊女性PRIME (2020年5月26日). 2020年11月18日閲覧。

外部リンク

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