三宅 亮一(みやけ りょういち、1891年9月29日 - 1979年7月14日)は、日本の経営者銀行家常陽銀行頭取を務めた。東京都出身[1]

経歴

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1914年東京高等商業学校を卒業[1]

川崎銀行での勤務を経て、後に常盤銀行(のちの常陽銀行)に転じ、1929年に取締役に就任し、1935年に常務、1948年に専務を経て、1948年10月に副頭取に就任し、1958年6月には頭取に昇格[1]1967年11月には会長に就任[1]

1979年7月14日冠硬化症のために死去[2]。87歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1975, み58頁.
  2. ^ 1979年 7月15日 朝日新聞 朝刊 p23

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。 
先代
亀山甚
常陽銀行頭取
1958年 - 1967年
次代
市田禎蔵