三並良
三並 良(みなみ はじめ、1865年11月20日(慶応元年10月3日) - 1940年(昭和15年)10月27日)は、日本のドイツ哲学者、牧師である。
人物情報 | |
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生誕 |
1865年11月20日 日本愛媛県松山市 |
死没 | 1940年10月27日 (74歳没) |
出身校 | 新教神学校 |
学問 | |
研究分野 | 哲学・神学 |
経歴
編集慶応元年(1865年)伊予国松山(現愛媛県松山市)の漢学者・歌原邁の子に生まれ、長じて母方の三並家を継ぐ。同郷の正岡子規の母の従弟であり、松山中学時代の子規が「五友」の一人に数えるなど交流があった。明治16年(1883年)に東京で獨逸学協会学校に入学する。ドイツ普及福音教会のウィルフリード・スピンナーの感化を受ける。明治20年(1887年)に新教神学校に入学する。卒業後、向軍治、丸山通一と共に普及福音教会を設立する。そして、教会の機関紙「真理」の編集に携わる。
明治24年(1891年)に壱岐坂教会の牧師になるが、その後普及福音協会を離れて、ユニテリアンに加わる。明治33年(1900年)に日本ゆにてりあん協会機関紙「六合雑誌」の編集長を務める。後に、ユニテリアンの牧師になり、日本ゆりてりあん協会の会長を務める。第一高等学校、松山高等学校のドイツ語の教授も務めた。
大正8年(1919年)に日本ホーリネス教会の中田重治、無教会派の内村鑑三が起こした再臨運動に対して、日本組合基督教会の海老名弾正らと共に反対論を展開する。
1935年三並の呼びかけにより、普及福音協会創立50周年記念会が開催される。
参考文献
編集- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
脚注
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