三上 章(みかみ あきら、1903年明治36年〉1月26日 - 1971年昭和46年〉9月16日)は、日本言語学者[2]。数学教師[2]。筆名に、加茂 一政(かも いっせい)[1]。従来の主語概念を否定して、「何々は」と「何々が」との機能差を明確にした「主語廃止論(主語否定論)」などで知られる[4]数学史家の三上義夫は大叔父にあたる[5]

三上 章
みかみ あきら
人物情報
別名 加茂かも 一政いっせい[1]
生誕 三上 彰(読み同じ)
(1903-01-26) 1903年1月26日[2]
大日本帝国の旗 大日本帝国広島県高田郡甲立村[2][3][4][5]
死没 (1971-09-16) 1971年9月16日(68歳没)[2]
日本の旗 日本大阪府[2]
出身校
学問
研究分野 言語学
学位
特筆すべき概念 主語廃止論[2][4]
主要な作品
  • 『現代語法序説』
  • 『象は鼻が長い 日本文法入門』
影響を受けた人物 佐久間鼎[2]
影響を与えた人物 寺村秀夫
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人物

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広島県高田郡甲立村大字上甲立(現・安芸高田市)出身。1960年に『構文の研究』で文学博士[2]東洋大学、1960年)。『象は鼻が長い』などの日本語研究で知られている。三上自身が創立期に参加していた奥田靖雄鈴木重幸らの言語学研究会での評価の他、世界的な評価もあり1970年にはハーバード大学に招かれて講義を行ったことがある[5]

経歴

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学歴

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広島高等師範附属中学(現・広島大学附属高校)から、1920年(旧制)山口高等学校首席入学。しかし、校風が気にいらず退学し、翌1921年第三高等学校入学。1927年東京帝国大学工学部建築学科卒。

勤務歴

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死後

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2003年に、三上の生誕100年を記念した「三上章フェスタ」が開催された[3]

文法研究を始めるまで

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若い頃哲学を志し、そのためには数学を学ぶ必要がある、として東京帝国大学工学部建築学科に入学する(1924年)。職業としては朝鮮や広島などで数学教師として長く勤務[2]朝鮮で教師をしていた時には哲学書を読み漁っていたという。1940年加茂一政の名で[1]『技藝は難く』を自費出版、その翌年、佐久間鼎に入門。日本語文法研究を志す決意をしたとき、本居宣長の墓に詣でたという。

三上章の理論

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三上章の理論は、益岡隆志が発見・刊行した博士論文(東洋大学)や『三上文法から寺村文法へ』により、その緊密な体系性が明らかとなった。

動詞の分類

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述語補語の研究の中では、動詞の新たな分類が重要なものの一つである。従来の他動詞自動詞という分類とは別に、「能動詞」と「所動詞」という分類を立てた。「所動詞」は最近の理論言語学でいう非対格動詞に相当する。「在る」や「要る」など、受動態にすることが不可能な動詞のクラスを表す。これは「間接受動」、あるいは「迷惑の受身」で自動詞を受動化できる日本語において重要な意味を持つ。

著書

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  • 『技芸は難く』武蔵野書房、1940年5月。全国書誌番号:44003692 
  • 『現代語法序説 シンタクスの試み』刀江書院、1953年6月。 NCID BN08098809全国書誌番号:53007431 
  • 『現代語法新説』刀江書院、1955年5月。 NCID BN03515228全国書誌番号:55004416 
  • 『象ハ鼻ガ長イナア!』くろしお出版、1960年10月。 NCID BN13548788全国書誌番号:60014445 
  • 『日本語の論理 ハとガ』くろしお出版、1963年3月。 NCID BN00733572全国書誌番号:63004799 
  • 『文法教育の革新』くろしお出版、1963年6月。 NCID BN00734087全国書誌番号:77100006 
  • 『日本語の構文』くろしお出版、1963年12月。 NCID BN0050893X全国書誌番号:64000883 
  • 『文法小論集』くろしお出版、1970年12月。 NCID BN00734134全国書誌番号:75002171 
  • 三上章論文集 (1975年)
  • 『構文の研究』くろしお出版、2002年12月。 NCID BA6021080X全国書誌番号:20366002 

解説・評伝

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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