七曲殿 (浅野長勝の妻)
戦国時代の女性。浅野又右衛門継室。
七曲殿(ななまがりどの、? ‐ 慶長8年4月18日(1603年5月28日))は、戦国時代の女性。浅野長勝の妻。名はふくと伝わる。父は杉原家利。姉に朝日殿、兄に杉原家次。
長勝との間に子はいないが、朝日殿の子、寧々、長生院、安井重継の子浅野長政を養子としている。
寧々と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の結婚の際は、姉の朝日殿が実娘の結婚に反対したものの、長勝は賛成して寧々を養女に迎えて結婚の形式を整えた。これにより浅野家は出世するようになる。
天正3年(1575年)の長勝の死後も生きており、文禄3年(1594年)の大坂城二の丸にて能の興行でも姉・朝日殿とともにわた五十把をもらっている。
慶長8年(1603年)4月17日には養女・高台院が、豊国神社にて七曲殿の病平癒祈祷をしている。翌日に死去。
戒名は雲亮院宝林妙瑜大姉。位牌・肖像画が高台寺にある。