下士官 (日本海軍)

一等兵曹から転送)

大日本帝国海軍の下士官(だいにほんていこくかいぐんのかしかん)は、帝国海軍下士官について詳述する。

概説

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大日本帝国海軍では、下士官に任官するためには勤務成績が良好なばかりでなく、予科練などを除くと原則として下士官任用試験に合格する[1]必要があった。このため多くは、各種学校(砲術学校や水雷学校など)の普通科練習生[注釈 1]を卒業し、その証としての特技章を持っていることが必要条件であった。(第二次世界大戦末期には基準が緩和され、特技章なしで上等兵曹まで昇進した者もいる)。各兵種(飛行兵や整備兵など)においては当時としては高度な知識と技能の教育が行われた。(解析学物理学気象学なども教育された。)平時は、水兵として入団してから下士官に任官するのには最短で約4年半、入団から准士官まで昇進するのには最短約12年半[注釈 2]を要した。実際には優秀な人でも兵曹長までに15年程度を要したようである。准士官昇進直前の下士官は軍服の腕に縫いつける善行章(海軍在勤3年につき1本を付与される。15年在勤で5本になるが、不祥事があると褫奪される。付与本数は最高5本)の様子から「洗濯板」と俗称され畏敬された。上等兵曹の最先任者のうち人格、勤務成績共に優れているものは「先任下士官」に任命され、将校と下士官兵との接点役になり、一般の下士官兵からは士官以上に畏敬された。

沿革

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明治元年から明治4年にかけて

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海軍では明治元年から明治3年明治4年の際に政府直隷の艦船及び旧諸より献納した艦船における乗組員の官職名のうち実地軍人の職務に従事していたものは、官等表に掲載する純然たる本官ではなくとも服役年計算の際に総て軍人として取り扱うことにしており[2] [注釈 3]、艦船乗組員の官職名のうち下士と看做すものには一等下士官二等下士官機関士(きかんしほ[5])、水火夫小頭(すいかふ[6]・こがしら)、水火夫小頭助楽手(がくしゅ[7])等がある[8] [9] [2] [注釈 4]

1870年8月8日(明治3年7月12日)に兵部省海軍下等士官以下月給表を制定しており、これに掲載している海軍下等士官(かとうしかん[11])は水夫上長(すいふじょうちょう[12])、一等水夫長(いっとう・すいふちょう[12])、二等水夫長三等水夫長水夫長試職按針手上長一等按針手二等按針手三等按針手按針手試職砲手上長(ほうしゅ[13]・じょうちょう)、一等砲手二等砲手三等砲手砲手試職鼓手(こしゅ[14]・ちょう)、一等鼓手二等鼓手楽手長一等楽手二等楽手木工(もっこうちょう[15])、一等木工(いっとう・もっこう[15])、二等木工三等木工木工試職一等理事(いっとう・りじ[16])、二等理事一等療養夫(いっとう・りょうよう[17]・ふ)、二等療養夫一等穀供(いっとう・こっく[18]・ちょう)、二等穀供長三等穀供長一等縫二等縫帆三等縫帆機械手上長一等機械手二等機械手三等機械手機械手試職一等鍛冶(いっとう・たんや[19])、二等鍛冶三等鍛冶である[20] [21] [注釈 5]

海軍はイギリス[注釈 6]を斟酌して編制する方針を1870年10月26日(明治3年10月2日)に示してている[23]

1871年2月11日(明治3年12月22日)に海軍服制を定めて軍服階級章を規定している[24]。将士の部、下等士官以下の部と図面があり、下等士官以下の部で曹長から卒までの服制を定めた[25]。図面にはその形状が描かれている[26]。 下等士官以下の部では将士と区別して帽星、服、肘上章紐釦、短胴服(チョッキ)を規定した[25] [27]。 帽で曹長、権曹長軍曹伍長、卒を区別し、曹長以下軍曹以上の紐釦はは黄銅桜花、伍長以下の釦は黄銅錨とした[25] [28] [29]。 曹長以下軍曹以上は肘上章により水夫長、按針手、砲手、機関手、縫帆手、木工、鍜治を区別した[25] [30]。 伍長は肘上章により一等水夫と一等火夫、卒は肘上章により二等水夫と二等火夫を区別した[31] [30]

1871年4月7日(明治4年2月18日)に兵部省軍艦乗組官員月給表を制定しており、今まで軍艦乗組の士官以下の月給について艦中の見込みで決めていた場合でも官位相当の月給とした[32] [33]。 これに掲載している軍艦乗組官員のうち卒を除いたものは艦内教授役(かんないきょうじゅやく[34])、二等艦内教授役艦内教授役介(かんないきょうじゅやくすけ[34])、二等艦内教授役介三等艦内教授役介肝煎(きもいり[35])、二等肝煎三等肝煎肝煎介(きもいりすけ[35])、二等肝煎介三等肝煎介筆生(ひつせい[36])、二等筆生三等筆生掌砲上長(しょうほうじょうちょう[37])、二等掌砲上長掌砲長(しょうほうちょう[37])、二等掌砲長三等掌砲長掌砲次長(しょうほうじちょう[37])、掌砲長属(しょうほうちょうぞく[37])、水夫上長、二等水夫上長水夫長、二等水夫長、三等水夫長、水夫次長(すいふじちょう[12])、水夫長属(すいふちょうぞく[12])、指揮官端舟(しきかんたんしゅうちょう[38]、しきかんはしぶねちょう[注釈 7])、艦長端舟長(かんちょうたんしゅうちょう[40]、かんちょうはしぶねちょう[注釈 7])、大端舟長(だいたんしゅうちょう[41]、だいはしぶねちょう[注釈 7])、中端舟長(ちゅうたんしゅうちょう[42]、ちゅうはしぶねちょう[注釈 7])、小端舟長(しょうたんしゅうちょう[43] [19]、しょうはしぶねちょう[注釈 7])、甲板(かんぱんちょう[34]、こうはんちょう[注釈 8])、甲板次長(かんぱんじちょう[34]、こうはんじちょう[注釈 8])、甲板長属(かんぱんちょうぞく[34]、こうはんちょうぞく[注釈 8])、檣樓(しょうろうちょう[45])、檣樓長属(しょうろうちょうぞく[45])、按針長(あんじんちょう[46]、あんしんちょう[注釈 9])、按針次長(あんじんじちょう[46]、あんしんじちょう[注釈 9])、按針長属(あんじんちょうぞく[46]、あんしんちょうぞく[注釈 9])、信号長(しんごうちょう[48])、信号次長(しんごうじちょう[48])、信号長属(しんごうちょうぞく[48])、帆縫長(はんほうちょう[49]、ほぬいちょう[50])、帆縫次長(はんほうじちょう[49])、帆縫長属(はんほうちょうぞく[49])、(ぞうこうちょう[51])、造綱次長(ぞうこうじちょう[51])、造綱長属(ぞうこうちょうぞく[51])、船艙長(せんそうちょう[52])、二等船艙長木工上長(もっこうじょうちょう[15])、二等木工上長、木工長、二等木工長三等木工長木工次長(もっこうじちょう[15])、木工長属(もっこうちょうぞく[15])、槇筎師(まいはだし[53] [注釈 10])、塗師(ぬし[55])、(とうし[56]、おけし[57])、機関士副(きかんしふく[5])、二等機関士副三等機関士副火夫(かふちょう[58])、火夫次長(かふじちょう[58])、火夫長属(かふちょうぞく[58])、鍛冶長(たんやちょう[19]、かじちょう[59])、二等鍛冶長鍛冶次長(たんやじちょう[19])、鍛冶長属(たんやちょうぞく[19])、兵器(へいきし[60])、大艦厨宰(だいかん[61]・ちゅうさい[62])、中艦厨宰(ちゅうかん・ちゅうさい[62])、小艦厨宰(しょうかん[63]・ちゅうさい[62])、厨宰介(ちゅうさいすけ[62])、大艦割烹(だいかん[61]・かっぽう[11])、中艦割烹(ちゅうかん[62]・かっぽう[11])、小艦割烹(しょうかん[63]・かっぽう[11])、病室厨宰(びょうしつちゅうさい[64])、看病人(かんびょうにんちょう[34])である[33] [注釈 11]

明治4年8月

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1871年(明治4年8月)に官等15等を設けて八等以下を判任とし、兵部省官等表に曹長、権曹長及び軍曹を置いて十一等から十三等までに当てた[65] [注釈 3]。 下等士官以下の降級・昇級のときは艦船長の見込みを以って艦隊指揮に申し出て検査を遂げた上で昇級させた。もっとも艦隊指揮が不在のときは艦船長が同様の手続きを行うこととした。ただし、水兵本部に於いて昇級するときは諸艦船長が立ち会って検査を遂げて手続きした[66]。また、これまで下等士官以下が拝命のときはその艦において艦長が申し渡してきたけれども、明治4年12月27日から権曹長以上は下等士官であっても海軍省において申し渡すことにする[67]。さらに、明治5年4月15日から降級・昇級等については少尉以下軍曹までは海軍省において伝達し、軍曹よりも下は所轄の艦船において伝達させることにする[68]

明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によると、ウオルラント・ヲフヰサルを曹長に、チーフ・ペッチー・ヲフヰサルを権曹長に、ペッチー・ヲフヰサル・フィルスト・クラスを一等軍曹に、ペッチー・ヲフヰサル・セコンド・クラスを二等軍曹に、ペッチー・ヲフヰサル・ソルド・クラスを三等軍曹に、リーヂング・シーメンを一等伍長に、ヱーブル・シーメンを二等伍長に対応させている[69]

1872年5月23日(明治5年4月17日)に海軍の官名について諸艦船とも英国海軍官名録[70]の通りに唱えさせることにした[71] [注釈 12]。 英国海軍官名録に掲載されている中に下士に当たる名称として上頭下士 (Chief petty officer)、一等下士 (First-class Petty Officer)、二等下士 (Second-class Petty Officer) があり、これらの総称として下等官員 (Petty officers) がある[注釈 13]。 海軍諸表便覧の皇国英国海軍官名比較表では英国の上頭下士・一等下士・二等下士にそれぞれ対応するものとして一等下士・二等下士・三等下士を掲げている[74]

明治4年8月の海兵隊

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海兵隊は明治4年8月に初めて募集編隊に着手し続いて隊中に軍曹・伍長以下の階級を設けるけれどもそのとき一定の規定をすることはなかった[78] [注釈 14] [注釈 15]。 1872年1月27日(明治4年12月18日)に水勇[注釈 16]並びに楽隊の軍曹以下の月給を定め[注釈 17]、その翌日に水勇並びに楽隊の軍曹・伍長は諸艦の裨官[注釈 18]並びに押伍官[注釈 19]に準じ取り扱いをすることにした[78]

1872年4月12日(明治5年3月5日)に各艦乗組裨官は改めて軍曹を命じ、各艦乗組押伍官・各艦乗組野砲海兵押伍官・各艦乗組伍長は改めて伍長を命じることにした[85] [注釈 20]。1872年5月18日(明治5年4月12日)に、曹長以下伍長までの俸給制度が確定するまでの月給を定める[86]

明治5年9月

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1872年10月3日(明治5年9月1日)に軍艦乗組官等表を施行し[注釈 21]中等士官(ちゅうとうしかん[42])に一等中士(いっとうちゅうし[88])・二等中士(にとうちゅうし[89])、下等士官に一等下士(いっとうかし[90])、二等下士(にとうかし[91])、三等下士(さんとうかし[92])を設け、少尉・曹長・権曹長・軍曹・伍長に相当し、すなわち官等15等のうち十等より十四等までにあたる[93] [注釈 22]。一等中士に、艦内教授役、掌砲上長、水夫上長、木工上長を置き、この3つを三上長(さんじょうちょう[95])という[96]。軍艦乗組官等表の下士三等・伍長相当欄に在るものはすべて下士判任と海軍省は認定しているいる[注釈 23]。 一等中士以下を乗艦の官員に充て、曹長以下を海兵官員に充てることとした[100] [注釈 24]。 1872年10月31日(明治5年9月29日)に海軍中等士官以下の服制を定める[102]

明治5年8月25日海軍省乙第100号軍艦乗組官等表(中士及び下士の部分)[10] [103]
少尉相当 一等中士 艦内教授役 掌砲上長 水夫上長 木工上長 小機関士
曹長相当 二等中士 艦内教授役介 肝煎 筆生 掌砲長 水夫長 木工長 機関士副
権曹長相当 一等下士 肝煎介 二等筆生 掌砲次長 水夫次長 指揮官端舟長 甲板長 按針長 信号長 帆縫長 造綱長 木工次長 火夫長 鍛冶長 厨宰
軍曹相当 二等下士 三等筆生 掌砲長属 水夫長属 艦長端舟長 大端舟長 甲板次長 檣樓長 按針次長 信号次長 帆縫次長 造綱次長 船艙長 木工長属 火夫次長 鍛冶次長 割烹
伍長相当 三等下士 中端舟長 小端舟長 甲板長属 檣樓長属 按針長属 信号長属 帆縫長属 造綱長属 槙筎師 塗師 桶師 火夫長属 鍛冶長属 兵器師 厨宰介 病室厨宰 看病人長

1873年(明治6年)2月12日に海軍武官の人事に関して達方手順大概を定め、中等士官・下等士官は降級・昇級を海軍省にて達、乗組替えを管轄長にて達とした[104]

軍艦乗組官等並びに日給表から兵器師の官名が漏れていたので明治6年7月8日にこれを追加し、更に槙筎・塗・兵器・桶の四師を槙筎工長(まいはだこうちょう[53] [注釈 10]、しんじょこうちょう[105])・塗工長(とこうちょう[106])・兵器工長(へいきこうちょう[60])・桶工長(とうこうちょう[56]、おけこうちょう[107])に改称した[108]

明治5年9月の海兵隊

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海兵隊では砲歩兵隊の官等を定め、その組織は曹長、権曹長、軍曹、伍長の下に砲兵及び歩兵がある[109] [110] [注釈 25]。 また、楽隊長(がくたいちょう[7])、楽隊次長(がくたいじちょう[7])、楽長楽師(がくし[7])(官階11等から14等まで)を置きその下に楽手があり、鼓長(こちょう[18])、鼓次長(こじちょう[14])(官階13等から14等まで)を置きその下に鼓手及び喇叭手がある[109] [112] [110] [注釈 26]

明治5年10月の海軍省官等表に伍長を追加し正式な官名とした[113] [114]

明治6年8月の海軍

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1873年(明治6年)8月8日の海軍武官官等表では下士(かし[115])の分類を設けたほか、権曹長を廃止した[116] [117] [注釈 27]。少尉以上を1等づつ進めて、十等を空けて曹長を十一等とした[116] [117]。機関士副を再置し下士に分類した[116] [119]。中士の名称を廃止し、11等から15等までを下士に分類した[116] [96]。 海軍武官官等表中に海兵部を設け、下士は曹長、軍曹、伍長、楽隊長、楽隊次長、楽長・鼓長、楽師・鼓次長を掲載する[110] [注釈 28]。 海軍武官官等改正の際に明治6年5月に海軍省が定めた曹長以下の外国名との比較によると、曹長をサーヂェント・メチヨルに、軍曹をサーヂェントに、伍長をコルポラルにに対応させている[120]。 従前の肝煎・肝煎介の名称は、警吏(けいり[121])・警吏補(けいりほ[122])に改めた[123] [124]

明治6年8月8日海軍武官官等表(十等以下の部分)[116]
海兵部 軍医科 秘書科 主計科 機関科
十等 艦内教授役 掌砲上長 水夫上長 木工上長 軍医副 秘書副 主計副
十一等 下士 艦内教授役介 警吏 一等筆生 掌砲長 水夫長 木工長 曹長 楽隊長 機関士副
十二等 警吏補 二等筆生 掌砲次長 水夫次長 指揮官端舟長 甲板長 按針長 信号長 帆縫長 造綱長 木工次長 軍曹 楽隊次長 艦内厨宰 火夫長 鍛冶長
十三等 三等筆生 掌砲長属 水夫長属 艦長端舟長 大端舟長 甲板次長 檣樓長 按針次長 信号次長 帆縫次長 造綱次長 船艙長 木工長属 伍長 楽長 鼓長 艦内割烹 火夫次長 鍛冶次長
十四等 中端舟長 小端舟長 甲板長属 檣樓長属 按針長属 信号長属 帆縫長属 造綱長属 槙筎工長 塗工長 桶工長 楽師 鼓次長 艦内厨宰介 病室厨宰 看病夫長 火夫長属 鍛冶長属 兵器工長
十五等

1874年(明治7年)5月4日[125]に太政官第49号布告により海兵部の官等を改正し、楽隊次長を廃止して鼓長・楽長の官等を12等とし鼓次長・楽師の官等を13等として楽隊長は鼓長・楽長以下を統べる[126] [110] [112]

1874年(明治7年)に佐賀の乱があり、この年に台湾出兵があった。

1875年(明治8年)4月23日に提督府が所轄してきた看病夫(かんびょうふちょう[34])を軍医寮の管轄とする[127]

1875年(明治8年)11月12日に海軍武官及文官服制(明治6年11月改定)を布告した[128]。このうち下士以下の服制については、海軍下士以下服制[129] [注釈 29]と海兵隊服制・下[130] [注釈 30]に掲載した。

1875年(明治8年)に発行された官職一覧によると[注釈 31]、艦内教授役及び三上長並びに下士には次のような職掌があった[132]

艦内教授役とは、軍艦・機関の運用及びその他艦内諸機械一切の用法等全てこれらに属する諸般の事務を教授することを掌るものであった[133]。 警吏とは艦内を巡視し、諸員の勤惰及び不慮の災害等全てこれらに属する一切のことを監視することを掌る者であった[133]。 筆生とは、船艦の事務に属する諸般の往復文書等、書記一切のことを管掌するものであった[134]

掌砲上長とは、大砲に属する一切の事務を管掌する。即ちその破損を補い不足を充しかつこれを保存するに注意する等は専らこの官の掌ることろになるのであった[134]。 掌砲長属その他の長属は、長の命を受けその職に属する一切の事務を処弁するものであった[135]

水夫上長とは、艦内水工一切の事務を管掌する。即ちあるいはボイラーに水を注ぎ、あるいはその火力の強弱を測定する等は総てこの官の専ら任ずるところになるのであった[136]。 指揮官端舟長とは、諸器械等をある船から別の船に運漕する等、総て端舟に属する一切の事務及びそれを指揮することを掌るものであった[39]。 艦長端舟長とは、器械等を端舟に運漕する等のとき、舟中一切の事務を監視することを掌るものであった[39]。中端舟長の職掌は艦長端舟長につぐものであった[39]。 大端舟長とは、殊に端舟の運用することを掌るものであった[39]。小端舟長の職掌は大端舟長につぐものであった[39]。 甲板長とは、船艦甲板上一切の事務を管掌する。即ちあるいは幕を張って雨を防ぎ、あるいは風を引いて艦室を換気する等のことを掌るものであった[44]。 檣楼長とは、軍艦檣樓英語版上の諸務を管掌する。即ちハシゴを登り帆綱を繋ぐ等はすべてこの官の掌るところであった[44]。 按針長の職掌は羅針盤を取ることで船艦の方向・位置を定める等のことを掌るものであった[47]。 信号長とは、蒸気船の入港・出港あるいは各所灯台の下を過ぎるとき汽笛の機関を動かすことでその信号を報じることを掌るものであった[47]。 帆縫長とは、の破損を補いあるいは新たにこれを造る等のことを掌るものであった[137]。 造綱長とは、帆綱及び諸般の用に供するところの綱あるいは索を造ることを掌るものであった[137]。 船艙長とは、船艦の前・後・中の船艙に積荷をする事務を掌るものであった[138]

木工上長とは、匠工一切の事務を管掌する。即ち艦内の各所窓・戸・壁などあるいはその破損を補いあるいは新たにこれを造る等のことを掌るものであった[138]。 槙筎工長とは、本艦或いは端舟等の漏孔に槙筎[注釈 10]を填めて潮水が濫入することを防ぐことを掌るものであった[139]。 塗工長とは、諸器具及び艦内房室の戸・壁等の刷り剥がれるものを塗料あるいは白亜で塗り繕うことを掌るものであった[140]。 桶工長とは、桶工一切のことを掌るものであった[140]

艦内厨宰(かんないちゅうさい[34])とは、艦内の賄い方一切の事務を掌るもので、艦内厨宰介(かんないちゅうさいすけ[34])はこれにつぐ者あった[141]艦内割烹(かんないかっぽう[34])とは、野菜・魚を煮ることを掌る。いわゆる料理方になる[141]。 看病人長とは、専らよく海軍の病人を看護することを掌るものであった[141]

機関士副の職掌は、少機関士を補助することを掌る[142]。少機関士は機械の清潔、作用、運転及び修補、諸備品の出納、木石炭・諸油の費用等に殊にその責を任ずるものであった[143]。 火夫長は機関科に属す。その職掌は専らボイラーの火を焚くことを掌るものであった[144]。 鍛治長とは、諸鉄器の破損するものを補う等、鍛工一切の事を掌るものであった[144]。 兵器工長とは、銃砲諸器及び刀剣の類一切の武器を造ることを掌るものであった[145]

1876年(明治9年)7月5日達第69号により[注釈 32]、楽長を10等として翌月に准士官となり、楽次長(がくじちょう[7])を11等、楽師を12等、楽手を13等とし、この下に楽生、楽生補があり官等はない[148] [147] [112] [注釈 33]。そして楽長から楽生までに各1等・2等の区別を設ける[148] [147] [112]

明治9年8月の海軍

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1876年(明治9年)8月31日太政官第113号布告により海軍文武官等表を改正し[150]、 機関士補はその名称を機関士副と入れ換えてかつ海軍省限りで命じるものから本官に改めて官階10等としたことで、機関士副が准士官となり機関士補は官階11等の下士となる[151] [152] [注釈 34]。この時に、主船寮や軍医寮等を廃止した[151]。官階10等である掌砲・水兵・木工の三上長もまた准士官となり[96]、艦内教授役・警吏等の階級を引き下げ[154] [注釈 35]、筆生の名称を筆記(ひっき[36])に改めた[155]。この月に海兵を解隊して水夫に採用し改めて「水夫」は「水兵」に改称した[156] [157] [96] [110] [注釈 36] [注釈 37]。水夫上長以下はその名称を水兵上長、水兵長(すいへいちょう[12])、水兵次長(すいへいじちょう[12])、水兵長属(すいへいちょうぞく[12])に改め、槙筎工長・塗工長・兵器工長を十三等に進めて槙筎工長属(しんじょこうちょうぞく[105])・塗工長属(とこうちょうぞく[106])・兵器工長属(へいきこうちょうぞく[60])を置き十四等とし、楽手の下に楽生(がくせい[7])を置き十四等とした[158]。 官等表に軍楽科を設け[110]、軍楽科を武官にした[112]

明治9年8月31日太政官第113号布告海軍文武官等表(十等以下の部分)[150] [158]
文官 武官
本省 裁判所 海兵部 軍楽科 軍医科 秘書科 主計科 機関科
十等 中録 少師 少主理 準士官 少尉補 掌砲上長 水兵上長 木工上長 楽長 軍医副 秘書副 主計副 機関士副
十一等 権中録 一等工長 一等書記 下士 艦内教授役 一等筆記 掌砲長 水兵長 木工長 曹長 楽次長 機関士補
十二等 少録 二等工長 二等書記 艦内教授役介 警吏 二等筆記 掌砲次長 水兵次長 指揮官端舟長 甲板長 按針長 信号長 帆縫長 造綱長 木工次長 鍛冶長 軍曹 鼓長 楽師 艦内厨宰 火夫長
十三等 権少録 三等工長 三等書記 警吏補 三等筆記 掌砲長属 水兵長属 艦長端舟長 大端舟長 甲板次長 檣樓長 按針次長 信号次長 帆縫次長 造綱次長 船艙長 木工長属 槙筎工長 塗工長 鍛冶次長 兵器工長 伍長 鼓次長 楽手 病室厨宰 艦内割烹 火夫次長
十四等 筆生 四等工長 四等書記 中端舟長 小端舟長 甲板長属 檣樓長属 按針長属 信号長属 帆縫長属 造綱長属 槙筎工長属 塗工長属 桶工長 鍛冶長属 兵器工長属 楽生 看病夫長 艦内厨宰介 火夫長属
十五等 省掌 五等工長 五等書記

1877年(明治10年)1月に官等を17等に増加しているが[159]、この年は海軍文武官官等表に変更はない。

西南戦争(明治10年)は、この頃である。

1878年(明治11年)2月19日太政官第5号達により海軍文武官官等表から海兵部の部目を廃止した[160] [110] [注釈 38]

明治15年6月の海軍

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1882年(明治15年)6月、曹長・軍曹・伍長を廃止した[117]。 各部の並びも機関部を軍医部よりも前に置いた。

九等・十等を准士官と称し、下士を3等に分けて十一等から十三等までに充て、共に判任とした[96]。 下士に於いては一部の官名を統廃合して、一等兵曹(いっとうへいそう[88])・二等兵曹(にとうへいそう[89])・三等兵曹(さんとうへいそう[161])を置いた[96] [注釈 39]。下士に於いては艦船航海中の際に在って常にある官を以って別の官の職務に充てざるを得ないことがあるため、従来の下士の中で掌砲次長・水兵次長・指揮官端舟長・甲板長・按針長・信号長・帆縫長・造綱長を廃止して更に一等兵曹を置き、掌砲長属・水兵長属・艦長端舟長・大端舟長・甲板次長・檣樓長・按針次長・信号次長・帆縫次長・造綱次長・船艙長を廃止して更に二等兵曹を置き、中端舟長・小端舟長・甲板長属・檣樓長属・按針長属・信号長属・帆縫長属・造綱長属を廃止して更に三等兵曹を置き、廃止した官の職務はその等級に応じて一等兵曹以下の職務とすることで、実際の便宜だけでなく経費節減の一端とした[163]。 従前の機関士補は廃止して機関工上長・機関工長・一等機関工手(いっとうきかんこうしゅ[90])・二等機関工手(にとうきかんこうしゅ[91])・三等機関工手(さんとう・きかんこうしゅ[5])を置いた[96]。機関室の職工については官が欠けていたので火夫長以下の中よりこれに充てて置いたけれども、元来火夫と職工とはその質が異なるため実際にその職を専掌する者がいないと大いに不便をきたし、かつ従前の機関士補は多く火夫長より昇任する者であって木工に於ける上長ような立場になるのでその名称は不適当であることから、機関工上長・機関工長・一等・二等・三等機関工手を置き機関士補は廃止した[163]。 掌砲・水兵・木工・機関工の四上長は九等として、掌砲・水兵・木工・機関工の四長は十等としこれまた准士官に加えた[96] [注釈 40]。 従前の木工長・木工次長を廃止して木工長属を三等に分けて一等木工長属(いっとうもっこうちょうぞく[88])、二等木工長属(にとうもっこうちょうぞく[89])、三等木工長属(さんとうもっこうちょうぞく[161])とし、火夫長属を二等に分けて一等火夫長属(いっとうかふちょうぞく[90])、二等火夫長属(にとうかふちょうぞく[91])とした[96]。 下士は漸次その等を進め陸軍との衡平を得ることとした[163]。 下士部の中に一等水雷工手(いっとうすいらいこうしゅ[164])、二等水雷工手(にとうすいらいこうしゅ[165])、三等水雷工手(さんとうすいらいこうしゅ[161])を置く[96]水雷は兵器の中で須要の位置をしめるところこれまで軍艦乗組員の中に専任の者がおらず実際に差し支えることが多いため水雷工手を置く[163]。 従前は軍医科や主計科に属した下士についても一部の官名を統廃合して、一等主厨(いっとうしゅちゅう[164])・二等主厨(にとうしゅちゅう[165])・三等主厨(さんとう・しゅちゅう[166])を置いた[96]。従来置いてきた艦内厨宰・同厨宰介・艦内割烹・病室厨宰の4官は実際は単にその本職に従事するだけに止まらず互いに補助させざるを得ない職掌なので、これらの4官を廃止して一等より三等までの主厨を置き従前の厨宰・割烹の職務は主厨の職務とした[163]。 従前の看病夫長を廃止して一等看護手(いっとうかんごしゅ[90])・二等看護手(にとうかんごしゅ[91])・三等看護手(さんとうかんごしゅ[92])を置いた[96]。従前の看病夫長はその等級が1等だけであるが艦船の大小や乗員の多寡に応じて配乗させるのに都合がよくないので看護手と改めてその等を3等に分けた[163]。 鍛冶次長及び楽生は廃止した[163]。 槙筎工長・槙筎工長属の名称を填筎工長(てんじょこうちょう[167])・填筎工長属(てんじょこうちょうぞく[167])に改めた[注釈 41]

明治15年6月7日太政官第33号達海軍武官官等表(下士及びその区画の上の准士官の部分)[169]
九等 判任 准士官 掌砲上長 水兵上長 木工上長 機関工上長
十等 掌砲長 水兵長 木工長 機関工長 楽長
十一等 下士 一等 一等兵曹 一等木工長属 一等機関工手 一等水雷工手 火夫長 艦内教授役 警吏 一等筆記 一等主厨 一等看護手 楽次長
十二等 二等 二等兵曹 二等木工長属 填筎工長 鍛冶長 兵器工長 塗工長 二等機関工手 二等水雷工手 一等火夫長属 艦内教授役介 警吏補 二等筆記 二等主厨 二等看護手 楽師
十三等 三等 三等兵曹 三等木工長属 桶工長 填筎工長属 鍛冶長属 兵器工長属 塗工長属 三等機関工手 三等水雷工手 二等火夫長属 三等筆記 三等主厨 三等看護手 楽手
十四等
十五等
十六等
十七等

1882年(明治15年)8月4日に従来の官名を統廃合した兵曹と主厨の職務についてその分課を定める[170] [注釈 42]

1884年(明治17年)7月11日太政官第64号達で海軍武官官等表を改正し、掌砲上長・掌砲長・水兵上長・水兵長・填茹工長・填茹工長属を廃止して一等兵曹の上に兵曹上長・兵曹長を置き、兵曹上長は九等、兵曹長は十等とした[注釈 43]

1886年(明治19年)3月12日に高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号[173])を定め、同年4月29日に判任官官等俸給令(明治19年勅令第36号[174])を定めて高等官判任官は別の官等の枠組みをそれぞれ用いることになったことから、1886年(明治19年)4月29日勅令第37号により海軍准士官・下士の官等は10等に分けた判任官のうち判任一等より五等までとした[175]

1886年(明治19年)6月7日海軍省令第46号により兵器工長以下を廃止して鍛冶長以下の定員を改めた[176]

明治19年7月の海軍

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1886年(明治19年)7月12日勅令第52号により海軍武官官等表を改正して、一等技工二等技工三等技工を置く[注釈 44]

1886年(明治19年)7月13日海軍省令第59号により辞令書を下付しない者については、従前の艦内教授役は一等艦内教授、従前の艦内教授役介は三等艦内教授、従前の警吏は一等警吏、従前の警吏補は三等警吏、従前の楽次長は一等軍楽手、従前の楽師は二等軍楽手、従前の楽手は三等軍楽手、従前の一等機関工手・火夫長は一等機関手、従前の二等機関工手・一等火夫長属は二等機関手、従前の三等機関工手・二等火夫長属は三等機関手、従前の一等木工長属は一等船匠手、従前の二等木工長属は二等船匠手、三等木工長属は三等船匠手、従前の鍛冶長は二等鍛冶手、従前の鍛冶長属は三等鍛冶手とした[178]

海軍武官官等表(明治19年勅令52号)(下士の部)[177]
判任 二等 下士 一等 一等兵曹 一等艦内教授 一等警吏 一等軍楽手 機技部下士 一等機関手 一等技工 一等船匠手 一等水雷工手 一等鍛冶手 軍医部下士 一等看護手 主計部下士 一等筆記 一等主厨
三等 二等 二等兵曹 二等艦内教授 二等警吏 二等軍楽手 二等機関手 二等技工 二等船匠手 二等水雷工手 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等主厨
四等 三等 三等兵曹 三等艦内教授 三等警吏 三等軍楽手 三等機関手 三等技工 三等船匠手 三等水雷工手 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等主厨

1886年(明治19年)10月9日海軍省令第117号海軍下士卒進級条例により、下士卒の進級に必要な実役停年や抜擢について定め、実役停年の表では一等水兵の上に三等兵曹、一等火夫の上に三等機関手、一等軍楽生の上に三等軍楽手、一等木工の上に三等船匠手、一等鍛冶の上に三等鍛冶手、一等厨夫の上に三等主厨、一等看病夫の上に三等看護手があり、水兵は掌砲証状もしくは運用術卒業証書または水雷術卒業証書を有する者でなければ下士に進級することができず、火夫・木工・鍛冶は練習工卒業証書を有する者でなければ下士に進級することができないとした[179]

明治22年7月の海軍

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1889年(明治22年)7月23日勅令第98号により海軍武官官等表の中の判任の部を改正し、一等艦内教授・二等艦内教授・三等艦内教授・一等警吏・二等警吏・三等警吏[注釈 45]・一等水雷工手・二等水雷工手・三等水雷工手・一等筆記・二等筆記・三等筆記を廃止し、一等主厨を一等主帳と改め、二等主厨を二等主帳と改め、三等主厨を三等主帳と改めた[注釈 46]

海軍武官官等表(下士の部)(明治22年勅令第98号)[182]
判任 二等 下士 一等 一等兵曹 一等軍楽手 機技部下士 一等機関手 一等技工 一等船匠手 一等鍛冶手 軍医部下士 一等看護手 主計部下士 一等主帳
三等 二等 二等兵曹 二等軍楽手 二等機関手 二等技工 二等船匠手 二等鍛冶手 二等看護手 二等主帳
四等 三等 三等兵曹 三等軍楽手 三等機関手 三等技工 三等船匠手 三等鍛冶手 三等看護手 三等主帳

1890年(明治23年)3月22日に判任官官等俸給令を改正・追加して判任官を6等に分けるが[183]、海軍准士官・下士の官等は判任一等より五等までとしたことに変更はない[175]

1890年(明治23年)7月30日勅令第152号により海軍下士任用進級条例を定め、下士に任用する卒の適格要件や下士の進級に必要な実役停年や資格また進級候補者名簿ついて規定し、海軍下士は三等を初任とし各その適格要件を満たす一等卒より任用するとして、三等兵曹は一等水兵、三等機関手は一等火夫・一等鍛冶、三等軍楽手は一等軍楽生、三等船匠手は一等木工、三等鍛冶手は一等鍛冶、三等主帳は一等厨夫、三等看護手は一等看病夫より任用するとし、ただし技工は一等卒ではなく造船学校卒業の生徒または任用試験に及第したものより任用するとし、兵曹の進級名簿は掌砲・掌水雷・掌帆・信号の各職に充てるべき者を区別し、機関手の進級名簿は機関部員・水雷工の各職に充てるべき者を区別し、技工の進級名簿は造船・汽機ボイラー製造・造兵・火薬製造・水路測量の各職に充てるべき者を区別した[184]

1891年(明治24年)2月16日勅令第11号により海軍武官官等表を改正し、下士の部に兵曹の次に一等信号手二等信号手三等信号手を加えた[注釈 47]。 三等信号手は一等信号兵より任用することになり、また兵曹の進級名簿で按針の職に充てるべき者を区別することにした[186]

1891年(明治24年)7月24日に高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)を定めて従前の高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)を廃止し[187]、また判任官俸給令(明治24年勅令第83号)を定め判任官官等俸給令(明治19年勅令第36号)を廃止して[188]、文武官の官等を廃止した[189]

明治24年8月の海軍

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1891年(明治24年)8月26日に「海軍武官官階表」(明治24年勅令第157号)を施行した[注釈 48]。 海軍武官官階表(明治24年勅令第157号)の制定により、海軍技工を廃官にすることになったため、その職務を武官ではなく技術官の海軍技手を以って充てることにした[191]

海軍武官官階表(明治24年勅令157号)(下士の部)[190]
下士 一等 一等兵曹 一等信号手 一等軍楽手 機技部下士 一等 一等機関手 一等船匠手 一等鍛冶手 軍医部下士 一等 一等看護手 主計部下士 一等 一等主帳
二等 二等兵曹 二等信号手 二等軍楽手 二等 二等機関手 二等船匠手 二等鍛冶手 二等 二等看護手 二等 二等主帳
三等 三等兵曹 三等信号手 三等軍楽手 三等 三等機関手 三等船匠手 三等鍛冶手 三等 三等看護手 三等 三等主帳

1891年(明治24年)12月28日に文武判任官等級表(明治24年勅令第249号)を定めて判任官を5等の等級に分け一等から五等までとした[192]

明治24年勅令第249号文武判任官等級表(海軍下士の部分)[192]
二等 海軍一等下士
三等 海軍二等下士
四等 海軍三等下士
五等

1894年(明治27年)4月12日勅令第43号により文武判任官等級表を改正した[193]

明治27年4月12日勅令第43号による文武判任官等級表改正の海軍下士の部分[193]
二等 海軍一等兵曹 海軍一等信号手 海軍一等軍楽手 海軍一等機関手 海軍一等船匠手 海軍一等鍛冶手 海軍一等看護手 海軍一等主帳
三等 海軍二等兵曹 海軍二等信号手 海軍二等軍楽手 海軍二等機関手 海軍二等船匠手 海軍二等鍛冶手 海軍二等看護手 海軍二等主帳
四等 海軍三等兵曹 海軍三等信号手 海軍三等軍楽手 海軍三等機関手 海軍三等船匠手 海軍三等鍛冶手 海軍三等看護手 海軍三等主帳
五等

1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて日清戦争があった。

明治29年4月1日の海軍

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1896年(明治29年)4月1日に施行した明治29年勅令第39号により海軍武官官階表を改正し、勅令の附則により従来の信号手は同官等の信号兵曹に、機関手は同官等の機関兵曹に各辞令書を用いずに任ぜられたものとし、主帳は同官等の筆記もしくは厨宰に任用するとした[注釈 49] [注釈 52]。 これに伴い、文武判任官等級表も改正した[197]

海軍武官官階表(明治29年勅令第39号)(下士の部)[194]
下士 一等兵曹 一等信号兵曹 一等船匠手 一等軍楽手 一等機関兵曹 一等鍛冶手 一等看護手 一等筆記 一等厨宰
二等兵曹 二等信号兵曹 二等船匠手 二等軍楽手 二等機関兵曹 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等厨宰
三等兵曹 三等信号兵曹 三等船匠手 三等軍楽手 三等機関兵曹 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等厨宰

1896年(明治29年)9月5日勅令第301号により海軍准士官下士任用進級条例を定め、下士に任用する卒の適格要件や下士の進級に必要な実役停年や資格また抜擢について規定した[198]

明治30年12月1日の海軍

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1897年(明治30年)12月1日に明治30年勅令第310号を施行して海軍武官官階表を改正した[199]。主に将校や准士官を改正しており、下士に於いては船匠手を軍楽手の次に移動したにとどまる。

海軍武官官階表の下士の部(明治30年勅令第310号)[199]
下士 一等兵曹 一等信号兵曹 一等軍楽手 一等船匠手 一等機関兵曹 一等鍛冶手 一等看護手 一等筆記 一等厨宰
二等兵曹 二等信号兵曹 二等軍楽手 二等船匠手 二等機関兵曹 二等鍛冶手 二等看護手 二等筆記 二等厨宰
三等兵曹 三等信号兵曹 三等軍楽手 三等船匠手 三等機関兵曹 三等鍛冶手 三等看護手 三等筆記 三等厨宰

1900年(明治33年)6月20日から1901年(明治34年)9月7日にかけて義和団の乱があった。

1903年(明治36年)12月5日勅令第269号により海軍武官官階表を改正して一・二・三等鍛冶手を削り、附則により鍛冶手である者は辞令書を用いずに同等級の機関兵曹に任ぜられたものとした[注釈 53]

1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて日露戦争があった。

1904年(明治37年)6月28日勅令第180号により海軍武官官階表を改正して、水路中監の次に海軍予備中佐以下を追加し[201] [注釈 54]、明治37年勅令第181号により文武判任官等級表を改正して、海軍一等鍛冶手の項を削り海軍一等厨宰の項の次に海軍予備上等兵曹以下及び海軍予備上等機関兵曹以下を追加した[203]

明治37年6月28日勅令第180号による海軍武官官階表改正(下士の部)[201]
下士 予備一等兵曹 予備一等機関兵曹
予備二等兵曹 予備二等機関兵曹
予備三等兵曹 予備三等機関兵曹
明治37年勅令第181号による文武判任官等級表改正(下士の部分)[203]
二等 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等機関兵曹
三等 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等機関兵曹
四等 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等機関兵曹
五等

1910年(明治43年)6月1日に明治43年勅令第241号を施行して海軍武官官階表を改正し、上等信号兵曹及び一・二・三等信号兵曹を削除し、附則により信号兵曹である者は辞令書を用いずに同等級の兵曹に任ぜられたものとした[204] [注釈 55]。 このとき海軍特修兵条例を定め、特別の技術を修めこれに対する証状を授与された下士卒を特修兵と言い、その証状の種類の種類は掌砲証状・掌水雷証状・掌帆証状・掌信号証状・掌電信証状・掌角証状・軍楽修業証状・船匠証状・掌機証状・掌電機証状・掌工証状・装創証状・掌記証状・掌厨証状とし、これらの証状の一部についてはその種類に応じて呼称を定め掌砲兵・掌水雷兵・掌帆兵・掌信号兵・掌電信兵・掌角兵・掌機兵・掌電機兵・掌工兵とした[206]

1910年(明治43年)6月17日に文武判任官等級令(明治43年勅令第267号)を定めて文武判任官等級表を廃止して、判任官の等級を4等に分けて一等から四等までとした[207]

明治43年勅令第267号文武判任官等級令(別表)(海軍下士の部分)[207]
海軍准士官及び下士
二等 海軍一等兵曹及び相当官 海軍予備一等兵曹及び相当官
三等 海軍二等兵曹及び相当官 海軍予備二等兵曹及び相当官
四等 海軍三等兵曹及び相当官 海軍予備三等兵曹及び相当官

1913年(大正2年)4月1日に海軍特修兵令を定めて海軍特修兵条例を廃止して、特別技術の種類は砲術・水雷術・運用術・信号術・電信術・軍楽・船匠術・機関術・電機術・工術・看護術・掌記術・掌厨術とし、証状を授与することを止めて特技章を付与することとし、特別技術の一部についてはその種類に応じた呼称を定め砲術は掌砲兵、水雷術は掌水雷兵、運用術は掌帆兵、信号術は掌信号兵、電信術は掌電信兵、機関術は掌機兵、電機術は掌電機兵、工術は掌工兵とし、海軍特修兵条例の掌角兵は掌信号兵とした[208]

1914年(大正3年)7月28日から第一次世界大戦が始まる。

大正4年12月15日の海軍

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1915年(大正4年)12月15日に大正4年勅令第216号を施行して海軍武官官階表を改正した[209]。この改正では下士に関しては機関兵曹を兵曹の次に移動するにとどまる[209]。 このとき文武判任官等級令の別表の海軍准士官及び下士の欄を改正している[210]

大正4年勅令第216号別表・海軍武官官階表(下士及び予備下士の部分)[209]
特務士官・准士官・下士 予備員
予備特務士官・予備准士官・予備下士
下士 一等下士 海軍一等兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等軍楽手 海軍一等船匠手 海軍一等看護手 海軍一等筆記 海軍一等厨宰 予備下士 予備一等下士 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等機関兵曹
二等下士 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等軍楽手 海軍二等船匠手 海軍二等看護手 海軍二等筆記 海軍二等厨宰 予備二等下士 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等機関兵曹
三等下士 海軍三等兵曹 海軍三等機関兵曹 海軍三等軍楽手 海軍三等船匠手 海軍三等看護手 海軍三等筆記 海軍三等厨宰 予備三等下士 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等機関兵曹
大正4年勅令第218号による文武判任官等級令(別表)改正(海軍下士の部分)[210]
海軍准士官及び下士
二等 海軍一等兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等兵曹相当官 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等機関兵曹
三等 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等兵曹相当官 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等機関兵曹
四等 海軍三等兵曹 海軍三等機関兵曹 海軍三等兵曹相当官 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等機関兵曹

1918年(大正7年)11月11日に第一次世界大戦が終わる。

大正9年4月1日の海軍

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1920年(大正9年)4月1日に大正9年勅令第10号を施行して海軍武官官階表を改定し、附則により従前の法令の中の下士に関する規定は下士官に、下士の各官に関する規定はその種別・官階に従い各科下士官にこれを適用するとした[211] [212]。 この改定により、下士の名称を下士官に、一等下士は一等下士官に、二等下士は二等下士官に、三等下士は三等下士官に改め、下士官の各官名を兵曹に改めた[211]。 また文武判任官等級令の別表の海軍准士官及び下士の欄を改正している[213]。 海軍武官進級令を定めて、海軍高等武官進級条例及び海軍准士官下士任用進級条例を廃止した[214]。 海軍高等武官任用令の題名を海軍武官任用令に改め、海軍武官官階表の改正に応じて改正した[215]。 このときの諸法令の改正で「下士卒」を「下士官兵」に、「下士」を「下士官」に改めた[216] [217]。 また、海軍特修兵令の改正により特別技術の掌記術の名称を経理術に改め、経理術の特修兵の名称を掌経理兵とした[218]

海軍武官官階表(大正9年勅令第10号)(下士官の部分)[211]
特務士官・准士官・下士官 予備員
予備特務士官・予備准士官・予備下士官
兵科 機関科 軍楽科 船匠科 看護科 主計科 兵科 機関科
下士官 一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等軍楽兵曹 海軍一等船匠兵曹 海軍一等看護兵曹 海軍一等主計兵曹 予備下士官 予備一等下士官 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等機関兵曹
二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等軍楽兵曹 海軍二等船匠兵曹 海軍二等看護兵曹 海軍二等主計兵曹 予備二等下士官 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等機関兵曹
三等下士官 海軍三等兵曹 海軍三等機関兵曹 海軍三等軍楽兵曹 海軍三等船匠兵曹 海軍三等看護兵曹 海軍三等主計兵曹 予備三等下士官 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等機関兵曹
大正9年勅令第13号による文武判任官等級令(別表)改正(海軍下士官の部分)[213]
海軍准士官及び下士官
二等 海軍一等下士官 海軍予備一等下士官
三等 海軍二等下士官 海軍予備二等下士官
四等 海軍三等下士官 海軍予備三等下士官

1920年(大正9年)12月の海軍特修兵令の改正により特別技術の軍楽の名称を軍楽術に改め、特別技術に航空術及び航空工術を加え、航空術・航空工術の特修兵の名称をそれぞれ掌航空兵・掌航空工兵とした[219]

1923年(大正12年)4月1日施行の海軍特修兵令の改正により特別技術に測的術を加え、測的術の特修兵の名称を掌測的兵とした[注釈 56]

1930年(昭和5年)1月10日に昭和4年勅令386号を施行して海軍武官官階表を改正し、下士官の欄の兵科の項の次に航空科を加え、予備下士官の欄の兵科の項の次に航空科を加え、附則により海軍航空隊に於いて航空術を修めその特修兵[注釈 57]となっている者であって、改正勅令施行の際、現に附則の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令書を用いずに各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、海軍航空隊に於いて航空術を修め、改正勅令施行の際に現に海軍予備三等兵曹である者は別に辞令書を用いずに海軍予備三等航空兵曹に任ぜられたものとした[注釈 58]

昭和4年勅令386号による海軍武官官階表改定(下士官の部分)[221]
特務士官・准士官・下士官
兵科 航空科
下士官 一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等航空兵曹
二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等航空兵曹
三等下士官 海軍三等兵曹 海軍三等航空兵曹
昭和4年勅令386号による海軍武官官階表改定(予備下士官の部分)[221]
予備員
予備特務士官・予備准士官・予備下士官
兵科 航空科
予備下士官 予備一等下士官 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等航空兵曹
予備二等下士官 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等航空兵曹
予備三等下士官 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等航空兵曹
昭和4年勅令386号・附則の表(下士官の部分)[221]
海軍一等兵曹 海軍二等兵曹 海軍三等兵曹
海軍一等航空兵曹 海軍二等航空兵曹 海軍三等航空兵曹

1930年(昭和5年)6月1日施行の海軍特修兵令の改正により特別技術の航空工術の名称を整備術に改め、掌航空工兵の名称を掌整備兵に改めた[222]

1930年(昭和5年)12月1日に昭和5年勅令第227号を施行して海軍武官官階表を改正し、船匠科の項を削り、附則によりが改正勅令施行の際、現に附則の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令書を用いずに各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとした[注釈 59]。 海軍特修兵令[注釈 57]を改正して特別技術の種類から船匠術を削る[注釈 60]

昭和5年勅令第227号・附則の表(下士官の部分)[223]
海軍一等船匠兵曹 海軍二等船匠兵曹 海軍三等船匠兵曹
海軍一等機関兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍三等機関兵曹

1932年(昭和7年)1月から3月にかけて第一次上海事変があった。

1932年(昭和7年)11月1日の海軍特修兵令の改正により特別技術に航空兵器術を加え、航空兵器術の特修兵の名称を掌航空兵器兵とした[注釈 61]

1934年(昭和9年)4月1日に昭和9年勅令第66号を施行して海軍武官官階表を改正し、航空科の次に整備科を加え、附則により海軍航空隊に於いて航空兵器術を修めその特修兵となっている者であって改正勅令施行の際に現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令書を用いずにその相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、海軍航空隊に於いて整備術を修めその特修兵となっている者であって改正勅令施行の際に現に附則第3項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令書を用いずにその相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとした[注釈 62]。 航空科と整備科の区別としては、航空科は「飛行業務を本務とする者、航空兵器(飛行機搭載兵器)の地上整備を本務とする者及び飛行機の地上整備を本務とする者(整備科)の補助者」の3種類が、整備科は「飛行機その他の地上整備を本務とする者」が科別・兵種の区分として考えられていた[226]

昭和9年勅令第66号による海軍武官官階表改定(下士官の部分)[225]
特務士官・准士官・下士官
航空科 整備科
下士官 一等下士官 海軍一等航空兵曹 海軍一等整備兵曹
二等下士官 海軍二等航空兵曹 海軍二等整備兵曹
三等下士官 海軍三等航空兵曹 海軍三等整備兵曹
昭和9年勅令第66号・附則第2項の表[225]
海軍一等兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍三等兵曹 海軍三等機関兵曹
海軍一等航空兵曹 海軍二等航空兵曹 海軍三等航空兵曹
昭和9年勅令第66号・附則第3項の表(下士官の部分)[225]
海軍一等兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍三等兵曹 海軍三等機関兵曹
海軍一等整備兵曹 海軍二等整備兵曹 海軍三等整備兵曹

1937年(昭和12年)7月から支那事変、8月から第二次上海事変があり日中戦争が始る。

1937年(昭和12年)12月17日の海軍特修兵令の改正により特別技術の掌厨術の名称を衣糧術に改め、衣糧術の特修兵の名称を掌衣糧兵とした[注釈 63]

1938年(昭和13年)4月1日より昭和13年勅令143号の予備員に関する規定を、1938年(昭和13年)12月1日よりその他の規定を施行して海軍武官官階表を改正し、機関科の次に工作科を加え、附則により海軍の学校に於いて工術を修めその特修兵となっている者又は海軍大臣の特に定める者であって1938年(昭和13年)12月1日に於いて現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令書を用いずにその相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとした[注釈 64]。 また1938年(昭和13年)12月1日に海軍特修兵令を改正し、特別技術の工術の名称を工作術に改めた[229] [注釈 65]

昭和13年勅令143号による海軍武官官階表改定(下士官の部分)[228]
特務士官・准士官・下士官
機関科 工作科
下士官 一等下士官 海軍一等機関兵曹 海軍一等工作兵曹
二等下士官 海軍二等機関兵曹 海軍二等工作兵曹
三等下士官 海軍三等機関兵曹 海軍三等工作兵曹
昭和13年勅令143号による海軍武官官階表改定(予備下士官の部分)[228]
予備員
予備准士官・予備下士官
兵科 航空科 機関科 工作科
予備下士官 予備一等下士官 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等航空兵曹 海軍予備一等機関兵曹 海軍予備一等工作兵曹
予備二等下士官 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等航空兵曹 海軍予備二等機関兵曹 海軍予備二等工作兵曹
予備三等下士官 海軍予備三等兵曹 海軍予備三等航空兵曹 海軍予備三等機関兵曹 海軍予備三等工作兵曹
昭和13年勅令143号・附則第2項の表(下士官の部分)[228]
海軍一等機関兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍三等機関兵曹
海軍一等工作兵曹 海軍二等工作兵曹 海軍三等工作兵曹

1939年(昭和14年)8月18日勅令第592号により海軍武官官階表を改正し、予備准士官以下に航空科の次に整備科を設けた[注釈 66]

昭和14年勅令386号による海軍武官官階表改定(予備下士官の航空科・整備科の部分)[231]
予備員
予備准士官・予備下士官
航空科 整備科
予備下士官 予備一等下士官 海軍予備一等航空兵曹 海軍予備一等整備兵曹
予備二等下士官 海軍予備二等航空兵曹 海軍予備二等整備兵曹
予備三等下士官 海軍予備三等航空兵曹 海軍予備三等整備兵曹

1941年(昭和16年)4月1日施行の海軍特修兵令の改正により特別技術に機雷術を加え、機雷術の特修兵の名称を掌機雷兵とした[232] [注釈 67]

1941年(昭和16年)6月1日に昭和16年勅令第624号を施行して海軍武官官階表を改正し、航空科を飛行科に改めて海軍航空特務大尉以下を海軍飛行特務大尉以下に改め、海軍予備航空兵曹長以下を海軍予備飛行兵曹長以下に改め、附則により海軍練習航空隊に於いて航空術を修めその特修兵となった者、甲種もしくは乙種の飛行予科練習生の教程を卒業した者卒業した者または甲種飛行予科練習生の教程履修中の者であって、改正勅令施行の際現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令を用いずに各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、その他の者であって改正勅令施行の際現に附則第3項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令を用いずにその相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、改正勅令施行の際現に附則第4項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令を用いずにその相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとした[233] [注釈 68]。 このとき海軍特修兵令を改正し、特別技術の航空術の名称を飛行術に改め、飛行術の特修兵の名称を掌飛行兵とした[注釈 69]

昭和16年勅令第624号による海軍武官官階表改定(下士官の部の飛行科の部分)[233]
特務士官・准士官・下士官
飛行科
下士官 一等下士官 海軍一等飛行兵曹
二等下士官 海軍二等飛行兵曹
三等下士官 海軍三等飛行兵曹
昭和16年勅令第624号による海軍武官官階表改定(予備下士官の飛行科の部分)[233]
予備員
予備准士官・予備下士官
飛行科
予備下士官 予備一等下士官 海軍予備一等飛行兵曹
予備二等下士官 海軍予備二等飛行兵曹
予備三等下士官 海軍予備三等飛行兵曹
昭和16年勅令第624号・附則第2項の表(下士官の部分)[233]
海軍一等航空兵曹 海軍二等航空兵曹 海軍三等航空兵曹
海軍一等飛行兵曹 海軍二等飛行兵曹 海軍三等飛行兵曹
昭和16年勅令第624号・附則第3項の表(下士官の部分)[233]
海軍一等航空兵曹 海軍二等航空兵曹 海軍三等航空兵曹
海軍一等整備兵曹 海軍二等整備兵曹 海軍三等整備兵曹
昭和16年勅令第624号・附則第4項の表[233]
海軍予備一等航空兵曹 海軍予備二等航空兵曹 海軍予備三等航空兵曹
海軍予備一等飛行兵曹 海軍予備二等飛行兵曹 海軍予備三等飛行兵曹

1941年(昭和16年)12月のマレー作戦から対英米戦争(太平洋戦争大東亜戦争)が始る。

1942年(昭和17年)5月2日の海軍特修兵令改正により、特別技術に内火術を加え、内火術の特修兵の名称を掌内火兵とした[注釈 70]

昭和17年の海軍

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1942年(昭和17年)11月1日に昭和17年勅令第610号を施行して海軍武官官階表を改正し、機関科を廃止して兵科に併せ、技術科を新設し、看護科の官名の看護を衛生に改め、一等下士官・二等下士官・三等下士官の官名を上等下士官一等下士官二等下士官に改める等の改正を実施し、附則により改正勅令施行の際現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令を用いずに各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、従前の法令の中で附則第2項の表の上欄に掲げる官に関する規定は各その相当の下欄に掲げる官にこれを適用し、従前の法令の中で附則第3項の表の上欄に掲げる者に関する規定は各その相当の下欄に掲げる者にこれを適用するとした[注釈 71]。 このとき文武判任官等級令等を改正した[239]

海軍武官官階表(昭和17年勅令第610号)(下士官の部分)[240]
特務士官・准士官・下士官 備考

必要に応じ海軍兵曹長以下を水兵科准士官下士官、海軍飛行兵曹長以下を飛行科准士官下士官、海軍整備兵曹長以下を整備科准士官下士官、海軍機関兵曹長以下を機関科准士官下士官、海軍工作兵曹長以下を工作科准士官下士官と称することができる
予備員 備考

必要に応じ海軍予備兵曹長以下を水兵科予備准士官予備下士官、海軍予備飛行兵曹長以下を飛行科予備准士官予備下士官、海軍予備整備兵曹長以下を整備科予備准士官予備下士官、海軍予備機関兵曹長以下を機関科予備准士官予備下士官、海軍予備工作兵曹長以下を工作科予備准士官予備下士官と称することができる
予備准士官・予備下士官
兵科 軍楽科 看護科 主計科 技術科 兵科
下士官 上等下士官 海軍上等兵曹 海軍上等飛行兵曹 海軍上等整備兵曹 海軍上等機関兵曹 海軍上等工作兵曹 海軍上等軍楽兵曹 海軍上等衛生兵曹 海軍上等主計兵曹 海軍上等技術兵曹 予備下士官 予備上等下士官 海軍予備上等兵曹 海軍予備上等飛行兵曹 海軍予備上等整備兵曹 海軍予備上等機関兵曹 海軍予備上等工作兵曹
一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等飛行兵曹 海軍一等整備兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等工作兵曹 海軍一等軍楽兵曹 海軍一等衛生兵曹 海軍一等主計兵曹 海軍一等技術兵曹 予備一等下士官 海軍予備一等兵曹 海軍予備一等飛行兵曹 海軍予備一等整備兵曹 海軍予備一等機関兵曹 海軍予備一等工作兵曹
二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等飛行兵曹 海軍二等整備兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等工作兵曹 海軍二等軍楽兵曹 海軍二等衛生兵曹 海軍二等主計兵曹 海軍二等技術兵曹 予備二等下士官 海軍予備二等兵曹 海軍予備二等飛行兵曹 海軍予備二等整備兵曹 海軍予備二等機関兵曹 海軍予備二等工作兵曹
昭和17年勅令第610号・附則第2項の表(下士官の部分)[238]
上欄 下欄
海軍一等(二等、三等)兵曹 海軍上等(一等、二等)兵曹
海軍一等(二等、三等)飛行兵曹 海軍上等(一等、二等)飛行兵曹
海軍一等(二等、三等)整備兵曹 海軍上等(一等、二等)整備兵曹
海軍一等(二等、三等)機関兵曹 海軍上等(一等、二等)機関兵曹
海軍一等(二等、三等)工作兵曹 海軍上等(一等、二等)工作兵曹
海軍一等(二等、三等)軍楽兵曹 海軍上等(一等、二等)軍楽兵曹
海軍一等(二等、三等)看護兵曹 海軍上等(一等、二等)衛生兵曹
海軍一等(二等、三等)主計兵曹 海軍上等(一等、二等)主計兵曹
海軍予備一等(二等、三等)兵曹 海軍予備上等(一等、二等)兵曹
海軍予備一等(二等、三等)飛行兵曹 海軍予備上等(一等、二等)飛行兵曹
海軍予備一等(二等、三等)整備兵曹 海軍予備上等(一等、二等)整備兵曹
海軍予備一等(二等、三等)機関兵曹 海軍予備上等(一等、二等)機関兵曹
海軍予備一等(二等、三等)工作兵曹 海軍予備上等(一等、二等)工作兵曹
昭和17年勅令第610号・附則第3項の表(下士官の部分)[238]
一等(二等、三等)下士官 予備一等(二等、三等)下士官
上等(一等、二等)下士官 予備上等(一等、二等)下士官
昭和17年勅令第692号による文武判任官等級令(別表)改正(海軍下士官の部分)[239]
海軍准士官及び下士官
二等 海軍上等下士官 海軍予備上等下士官
三等 海軍一等下士官 海軍予備一等下士官
四等 海軍二等下士官 海軍予備二等下士官

1942年(昭和17年)12月2日の海軍特修兵令改正により、特別技術に暗号術及び気象術を加え、暗号術・気象術及び今まで特に名称を設けていなかった看護術の特修兵の名称をそれぞれ掌暗号兵・掌気象兵及び掌看護兵とした[注釈 72]

1943年(昭和18年)5月1日の海軍特修兵令改正により、特別技術に水測術及び電測術を加え、水測術及び電測術の特修兵の名称をそれぞれ掌水測兵及び掌電測兵とした[注釈 73]

1943年(昭和18年)7月1日勅令第560号により海軍武官官階表等を改正し、予備員の官名から予備の名称を削り、附則により改正勅令施行の際現に附則第2項の表の上欄に掲げる官に在る者は別に辞令を用いずに予備員である各その相当の下欄に掲げる官に任ぜられたものとし、従前の法令の中で附則第2項の表の上欄に掲げる官に関する規定は予備員である各その相当の下欄に掲げる官にこれを適用し、附則第2項の規定により予備員である海軍二等飛行兵曹又は海軍二等整備兵曹となる者については、改正規定に拘らず当分の内その間に置かれたものとした[注釈 74]

昭和18年勅令第560号による海軍武官官階表改正(予備下士官の部分)[243]
予備員 備考

必要に応じ海軍兵曹長以下を水兵科予備准士官予備下士官、海軍飛行兵曹長以下を飛行科予備准士官予備下士官、海軍整備兵曹長以下を整備科予備准士官予備下士官、海軍機関兵曹長以下を機関科予備准士官予備下士官、海軍工作兵曹長以下を工作科予備准士官予備下士官と称することができる
予備准士官・予備下士官
兵科
予備下士官 予備上等下士官 海軍上等兵曹 海軍上等飛行兵曹 海軍上等整備兵曹 海軍上等機関兵曹 海軍上等工作兵曹
予備一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等飛行兵曹 海軍一等整備兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等工作兵曹
予備二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等工作兵曹
昭和18年勅令第560号・附則第2項の表(予備下士官の部分)[243]
海軍予備上等(一等、二等)兵曹 海軍予備上等(一等、二等)飛行兵曹 海軍予備上等(一等、二等)整備兵曹 海軍予備上等(一等、二等)機関兵曹 海軍予備上等(一等、二等)工作兵曹
海軍上等(一等、二等)兵曹 海軍上等(一等、二等)飛行兵曹 海軍上等(一等、二等)整備兵曹 海軍上等(一等、二等)機関兵曹 海軍上等(一等、二等)工作兵曹

1944年(昭和19年)4月1日に海軍特修兵令改正し、特別技術に潜航術を加え、潜航術の特修兵の名称を掌潜航兵とした[注釈 75]

1944年(昭和19年)8月26日の海軍特修兵令改正により、特別技術の航空兵器術及び整備術の名称をそれぞれ兵器整備術及び飛行機整備術に改め、特別技術に特攻術を加え、特攻術の特修兵の名称を掌特攻兵とした[245]

1945年(昭和20年)5月15日に昭和20年勅令第272号を施行して海軍武官官階表等を改正し、特務士官以下の技術科の次に「法務科」を加え、海軍監獄看守・海軍警査等を法務科の武官・兵に転換させた[注釈 76]。 このとき海軍特修兵令を改正して特別技術に法務術を加え、法務術を修めた下士官兵の名称を掌法務兵とした[246]

昭和20年勅令第272号による海軍武官官階表改正(下士官の部分)[246]
特務士官・准士官・下士官
技術科 法務科
下士官 上等下士官 海軍上等技術兵曹 海軍上等法務兵曹
一等下士官 海軍一等技術兵曹 海軍一等法務兵曹
二等下士官 海軍二等技術兵曹 海軍二等法務兵曹

昭和21年海軍武官廃止

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1946年(昭和21年)6月15日勅令第322号により海軍武官分限令等を廃止する勅令を定め、これにより海軍武官の官階を廃止し、ただし附則により廃止勅令施行の際現に海軍に属し復員していない者に関しては、旧令は廃止勅令施行後もその者の復員するまでなおその効力を有するとした[注釈 77]

1947年(昭和22年)政令第52号によりポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き陸軍刑法を廃止する等を実施し、これにより海軍武官の官階は消滅し、附則により廃止政令施行の際現に陸海軍に属し復員していない者は、その者の復員するまで、従前の業務に相当する未復員者としての業務に秩序を保って従事するものとした[注釈 78]

海軍下士官の官階(1945年5月15日から1946年6月15日廃止・1947年5月3日消滅まで)[240] [243] [246] [247] [248]
特務士官・准士官・下士官 備考

必要に応じ海軍兵曹長以下を水兵科准士官下士官、海軍飛行兵曹長以下を飛行科准士官下士官、海軍整備兵曹長以下を整備科准士官下士官、海軍機関兵曹長以下を機関科准士官下士官、海軍工作兵曹長以下を工作科准士官下士官と称することができる
予備員 備考

必要に応じ海軍兵曹長以下を水兵科予備准士官予備下士官、海軍飛行兵曹長以下を飛行科予備准士官予備下士官、海軍整備兵曹長以下を整備科予備准士官予備下士官、海軍機関兵曹長以下を機関科予備准士官予備下士官、海軍工作兵曹長以下を工作科予備准士官予備下士官と称することができる
予備准士官・予備下士官
兵科 軍楽科 看護科 主計科 技術科 法務科 兵科
下士官 上等下士官 海軍上等兵曹 海軍上等飛行兵曹 海軍上等整備兵曹 海軍上等機関兵曹 海軍上等工作兵曹 海軍上等軍楽兵曹 海軍上等衛生兵曹 海軍上等主計兵曹 海軍上等技術兵曹 海軍上等法務兵曹 予備下士官 予備上等下士官 海軍上等兵曹 海軍上等飛行兵曹 海軍上等整備兵曹 海軍上等機関兵曹 海軍上等工作兵曹
一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等飛行兵曹 海軍一等整備兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等工作兵曹 海軍一等軍楽兵曹 海軍一等衛生兵曹 海軍一等主計兵曹 海軍一等技術兵曹 海軍一等法務兵曹 予備一等下士官 海軍一等兵曹 海軍一等飛行兵曹 海軍一等整備兵曹 海軍一等機関兵曹 海軍一等工作兵曹
二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等飛行兵曹 海軍二等整備兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等工作兵曹 海軍二等軍楽兵曹 海軍二等衛生兵曹 海軍二等主計兵曹 海軍二等技術兵曹 海軍二等法務兵曹 予備二等下士官 海軍二等兵曹 海軍二等機関兵曹 海軍二等工作兵曹

個々の階級について

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以下は1942年(昭和17年)の官名改定後の呼称に基づいた記載である。

  • 上等兵曹(じょうとうへいそう)・・・・略称は上曹。陸軍曹長に相当する。兵曹長(准士官)の下、一等兵曹の上。判任官二等。上等下士官。
  • 一等兵曹(いっとうへいそう)・・・・略称は一曹。陸軍の軍曹に相当する。上等兵曹の下、二等兵曹の上。判任官三等。一等下士官。
  • 二等兵曹(にとうへいそう)・・・・略称は二曹。陸軍の伍長に相当する。一等兵曹の下、兵長の上。判任官四等。二等下士官。

英訳

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昭和9年の「昭和九年官房第一三五号別冊 海軍庁衙及官職名等ノ英仏訳」によれば、次の通り定められていた[249]。 兵曹長は准海尉、一等兵曹は一等海曹、二等兵曹は二等海曹、三等兵曹は三等海曹の英訳にそれぞれ合致する。

  • 兵科
    • 兵曹長:Warrant Officer
    • 一等兵曹:Petty Officer, 1st Class
    • 二等兵曹:Petty Officer, 2nd Class
    • 三等兵曹:Petty Officer, 3rd Class
  • 航空科
    • 航空兵曹長:Flight Warrant Officer
    • 一等航空兵曹:Flight Petty Officer, 1st Class
    • (二等航空兵曹・三等航空兵曹はそれぞれ2nd / 3rdになる。以下他兵科も同じ。)
  • 機関科
    • 機関兵曹長:Warrant Mechanician
    • 一等機関兵曹:Stoker Petty Officer, 1st Class
  • 軍楽科
    • 軍楽兵曹長:Warrant Bandmaster
    • 一等軍楽兵曹:Musician Petty Officer, 1st Class
  • 看護科
    • 看護兵曹長:Warrant Wardmaster
    • 一等看護兵曹:Sick-berth Steward, 1st Class
  • 主計科
    • 主計兵曹長:Warrant Writer
    • 一等主計兵曹:Writer, 1st Class

脚注

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注釈

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  1. ^ 兵を教育対象とした。普通科の上に高等科が置かれた。また准士官を対象とする特修科学生課程(准士官以上は学生と呼ぶ)があった。
  2. ^ 2等下士から1等下士、1等下士から上等下士へはそれぞれ最短2年、上等下士から兵曹長へは原則高等科を出ており4年以上を要した。
  3. ^ a b 海軍恩給令では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前、下士以下は箱館を平定した明治2年5月以前[3]、准卒は海軍定員に準じることにする以前は服役年に算入しないけれども、それ以前より勤仕した者はその算入期の前月における時点での官等に対する俸給の半額を以って奉職年数の1箇年にあてその年数に応じる金額を以って恩給支給の際に一時賜金として給与した[4]
  4. ^ 下士以下と看做すものから、明治5年8月25日海軍省乙第100号軍艦乗組官等表[10]の一等卒以下の欄に掲載されている名称と類似する一二三等水火夫を除いた。
  5. ^ 海軍下等士官以下から、明治5年8月25日海軍省乙第100号軍艦乗組官等表[10]の一等卒以下の欄に掲載されている名称と類似する一等水夫以下、並びに月給がこれと同等以下の一等兵卒以下、一等穀供以下及び一等火夫以下を除いた。
  6. ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[22]
  7. ^ a b c d e 官職一覧(明治8年)のフリガナは歴史的仮名遣いでシキクワンハシブネチャウ、カンチャウ、セウなどとあるのを、現代仮名遣いに改めた[39]
  8. ^ a b c 官職一覧(明治8年)のフリガナは歴史的仮名遣いでカウハンチャウ、ジチャウ、チャウゾクなどとあるのを、現代仮名遣いに改めた[44]
  9. ^ a b c 官職一覧(明治8年)のフリガナは歴史的仮名遣いでアンシンチャウ、ジチャウ、チャウゾクなどとあるのを、現代仮名遣いに改めた [47]
  10. ^ a b c d 槙肌・槇皮(まいはだ、まきはだ)は樹皮などを言い、舟などの水漏れを防ぐ充填材に使われる[54]。角川新字源改訂新版によると、筎はのみ。のめ。の皮をはいで作った柔らかい詰めもの。舟などの床や壁のすきまに詰めて、水もれを防ぐのに用いた。筎の同義字である袽はのみ。つめわた。ぼろきれ。舟のすきまにつめて、水もれを防ぐ。袽の同義字である𦀌はのみ。檜や槇などの内皮を砕き、やわらかい繊維にして、船などの継ぎ目につめて漏水を防ぐもの。漢辞海第四版によると、筎は竹の皮を綿状にけずったもの。《船の漏水箇所につめて防水する》「竹筎チクジョ」。袽は〔船の漏水を防ぐつめものとする〕ぼろ服やくず綿。まいはだ。のみ。𦀌は袽の異体字。
  11. ^ 軍艦乗組官員から、明治5年8月25日海軍省乙第100号軍艦乗組官等表[10]の一等卒以下の欄に掲載されている名称に類似する一等砲夫以下、一等水夫以下、一等帆縫手以下、一等造綱手以下、一等船艙夫以下、一等木工以下、一等槙筎工以下、一等塗工以下、一等桶工以下、一等火夫以下、一等鍛冶以下、一等兵器工以下、厨宰使丁、割烹介以下、一等造麺夫以下、看病人介以下、裁縫手以下、造靴手以下、守灯夫、屠夫、剃夫、指揮官厨宰、指揮官割烹、指揮官従僕、大艦艦長厨宰、大艦艦長割烹、一等艦士官室厨宰、一等艦士官室割烹、秘書従僕、三佐従僕、医官従僕、大少監従僕、艦長厨宰、士官室厨宰、艦長割烹、士官室割烹、士官室使丁、士官従僕、士官次室使丁、二等艦長厨宰、士官次室厨宰、二等艦長厨宰、士官次室厨宰、士官次室割烹、二等士官室割烹、中士室厨宰、中士室割烹を除いた。
  12. ^ 太政類典には布達文の後に、海軍省刊本英国海軍官名録[70]により補入した内容と[72]、海軍省刊本海軍諸表便覧[73]により補入した皇国英国海軍官名比較表[74]が掲載されている。
  13. ^
    • 上頭下士に分類する官名[75]
      • 練習船掌教長 (Head School master (in Training ships only))
      • 小監 (Master-at-arms)
      • 艦内掌教 (Naval school master)
      • 書記 (Writer)
      • 掌砲属上長 (Chief Gunner’s mate)
      • 水夫長属上長 (Chief Boatswain’s mate)
      • 前甲板上長 (Chief Captain of the Forecastle)
      • 提督艇長 (Admital’s Coxswain)
      • 上頭測量手 (Chief Quartermaster)
      • 上頭信号夫長 (Chief yeoman of signals)
      • 木工属上長 (Chief Carpenter’s mate)
      • 機械堂製作手 (Engine-Room Artificer)
      • 厨宰 (Ship’s steward)
      • 割烹手 (Ship’s cook)
      • 上頭楽官 (Chief Bandmaster)
    • 一等下士に分類する官名[76]
      • 小監補 (Ship’s Corporal)
      • 掌砲属(Gunner’s Mate)
      • 水夫長属 (Boatswain’s Mate)
      • 艦長艇長 (Captain’s Coxswain)
      • 前甲板長 (Captain of Forecastle)
      • 測量手 (Quartermaster)
      • 信号夫長 (Yeoman of signals)
      • 大艇長 (Coxswain of the Launch)
      • 大檣樓長 (Captain of the Main Top)
      • 前檣樓長 (Captain of the Fore Top)
      • 後甲板長 (Captain of the Afterguard)
      • 船艙長 (Captain of the Hold)
      • 造帆手 (Sailmaker)
      • 索綯手 (Ropemaker)
      • 木工属 (Carpenter’s mate)
      • 填隙手 (Caulker)
      • 鍜冶 (Blacksmith)
      • 兵器工 (Armourer)
      • 鉛工 (Plumber)
      • 一等塗粧手 (Painter 1st class)
      • 俊秀火夫 (Leading Stoker)
      • 病室厨宰 (Sick-Berth Steward)
      • 楽官 (Bandmaster)
      • 等内艦黒人長(ただしアフリカ守衛場のみ) (Head Krooman, in Rated ships (for African Station only))
    • 二等下士に分類する官名[77]
      • 将艇長 (Coxswain of the Barge)
      • 艦士艇長 (Coxswain of the pinnacle)
      • 檣長 (Captain of the Mast)
      • 前甲板次長 (Second captain of the Forecastle)
      • 大檣樓次長 (Second Captain of the Main Top)
      • 前檣樓次長 Second Captain of the Fore Top)
      • 信号夫 (Signalman)
      • 後甲板次長 (Scond Captain of the Afterguard)
      • 後檣樓長 (Captain of the Mizen-Top)
      • 造帆手属 (Sailmaker’s Mate)
      • 軍檣艇長 (Coxswain of the cutter)
      • 桶工 (Cooper)
      • 填隙手属 (Caulker’s Mate)
      • 二等塗粧手 (Painter 2nd class)
      • 鉛工属 (Plumber’s Mate)
      • 療養夫 (Sick-Berth Attendant)
      • 楽工 (Musician)
      • 等外艦黒人長(ただしアフリカ守衛場のみ) (Head Krooman, in other than Rated ships (For African Station only))
  14. ^ 伍長の職分は専ら海兵隊に属し艦船の乗組員ではない[78]
  15. ^ a b 明治4年9月28日に海兵及び水火夫を艦船から下ろした者は水兵本部の管轄となる[79]。その後、水夫は水兵本部の管轄から外れる[80]
  16. ^ 1871年12月20日(明治4年11月9日)にこれまで海兵並びに水卒とそれぞれ呼称してきたところ水勇と改称した[81] [82]
  17. ^ 水勇並びに楽隊の軍曹以下の月給は、軍曹は3等、伍長は3等、水勇は5等に分けた[78]
  18. ^ 裨官は英国のサアヂヱントの訳語[83]
  19. ^ 押伍は英国の歩兵に関する訳語としては、隊列が乱れないようにする役割である[84]
  20. ^ 各艦乗組裨官・押伍官・伍長を改めた軍曹・伍長の月給と乗組の軍艦は以前と同じとした[85]
  21. ^ 明治5年8月25日海軍省乙第100号布達で軍艦乗組官等並日給表を定め9月1日に施行するとした[87]
  22. ^ 海軍省は1872年5月23日(明治5年4月17日)に海軍の官名を英国海軍官名録に倣い改正することを布告したことから[71]、明治5年8月9日に海軍省内で諸工水火夫掛より軍務局へ伺いがあり、曹長・権曹長・軍曹・伍長の職名は英国海軍官名録にはないため、諸工水火夫掛において管轄になるものは海軍官名録の中から適切な職名に改めたいこと、また、曹長以下の職名のものはすべて水兵本部[注釈 15]において管轄になる理解していると申し入れがあり、これに対して軍務局は追って改正するまでは従前の通りと答えている[94]
  23. ^ 明治25年12月28日の内閣記録局より海軍省への照会によると、明治5年10月第305号海軍省職制[97]の中で初めて伍長が官等表の十四等に置かれたところであるが伍長を編隊中で初めて置いたのはいつであるか、さらに、明治5年8月25日軍艦乗組官等表[98]の中に三等下士・伍長相当の欄があるけれども三等下士即ち伍長相当は判任であるかの2つを照会した。これに対する海軍省の回答は、前段として判断基準の説明があり、伍長の純然たる官等表への掲載は明治5年10月第305号海軍省職制をもって創始としてこれ以前は隊中の官に止まり伍長を純然たる官としては設けていないことを確認し、伍長の創置は明確にすることはできないが今この時期を定めるには明治18年の太政官への伺定[2]に準拠して下士判任とするべきものとした。後段として結論があり、明治5年8月に定めた軍艦乗組官等表の中の下士三等・伍長相当の欄にあるものは総て下士判任とするとした[99]
  24. ^ 諸艦において従前の官名を英国海軍官名録の官名に変更しており、同一の官名でも艦船によって月給額が異なると差し支えるので定則を取り決めることにした[101]
  25. ^ 明治5年10月の海軍条例で水兵本部は専ら海軍海兵隊及び砲兵隊を管轄することにする[111] [110]。海兵はこれを水兵本部に備え、あるいは提督府に派遣し、あるいは艦船に乗載させた[110]
  26. ^ 砲兵隊・歩兵隊・砲兵予備隊・歩兵予備隊とも、伍長・楽師・鼓次長の14等以上の俸給には一等と二等があり、曹長・楽隊長の11等以下五等卒相当までみな乗艦加俸がある[109]
  27. ^ 陸軍省から陸軍武官官等表改正前の伺いが明治6年3月25日にあり海軍省は4月20日に答議している[118]。これによると海軍省は従前の官等表の通りで差し支えなかったが陸軍武官官等表の改正が成立した場合は海陸で揃えないと不都合なので海軍省も同様の改正をすることにしたい。ただし、卒は判任にすると差し支えるので従前の通りにしておきたいと申し出ている[118]
  28. ^ 海兵部は官等表で他の乗艦武官との区別を示すだけで別に庁衙を設けていない。また、この月に海兵隊、砲兵隊の両科を設ける。海兵隊は歩兵、砲兵隊は砲兵をいう[110]
  29. ^ 海軍下士以下服制では艦内教授役以下の礼服・常服・略服・夏服を定めた[129]
  30. ^ 海兵隊服制・下では海兵隊の砲兵・歩兵の曹長あるいは楽長から兵卒・楽手・鼓手・喇叭手までの礼服・常服・略服・夏服を定めた[130]
  31. ^ 官職一覧・上の冒頭に記された凡例によると、この官職一覧は本邦の官省職制の概略を記載して、専ら世間の年若い者が官吏の社会の一部を窺い知ること期待するとしている[131]
  32. ^ 明治9年5月2日に軍楽隊の官等改正を上請し[146]、同年7月5日達第69号により改正した[147]
  33. ^ 明治9年11月21日に軍楽科の服制を定めて追加することが決まり、明治10年4月第39号達により改正した[149]
  34. ^ 明治9年11月21日に秘史・機関士副等の服制を定めて追加することが決まり、明治10年4月第39号達により機関士補の服制は総て従前の機関士副と同じとなる[153]
  35. ^ 明治9年11月21日に海軍下士以下服制を改正することが決まり、明治10年4月第39号達により艦内教授役は礼服・常服とも従前の艦内教授役介と同じとなり、一等筆記は礼服・常服とも従前の一等筆生と同じとなり二等筆記以下はこれに准じ、艦内教授役介並びに警吏は礼服・常服とも従前の警吏補と同じでただし警吏は帯剣する、警吏補は礼服・常服とも従前の三等筆生と同じとなる[154]
  36. ^ このとき水兵本部は廃止し海兵は解隊した。しかし、官等表にはまだ海兵部の欄があり、ただし曹長・軍曹・伍長、鼓長・鼓次長を掲載して将校の官名はこれを除き、かつ楽長以下は別に軍楽科を設けてこれを掲載した[110]
  37. ^ 明治9年11月21日に海軍下士以下服制を改正することが決まり、明治10年4月第39号達により水兵上長の服制は総て従前の水夫上長と同じとなり水兵次長以下はこれに准じた[154]
  38. ^ 明治9年8月に海兵を解隊してから海兵の希望によりあるいは水兵に採用しあるいは除隊した。士官についても艦務研修のために各艦に分乗しており。このころまでに砲歩兵科から乗艦武官へ配置転換が完了したため官等表から海兵部の部目を削除することにした[160] [110]
  39. ^ 兵曹は古代中国でも見られる官職名から起用したものであるが、日中両言語における同義部分がある他に日本語の場合はさらに独自の意味を持ち新式軍隊の階級として使用している。しかしこの語義は現代中国語には還流できず、あるいは還流できたとしても最終的に定着しなかったと考えられる[162]
  40. ^ 従来は掌砲・水兵・木工の三上長は十等官であるところ、そもこれら三上長及び機関工上長は卒夫から始まり数十年間海軍に従事し、すこぶる実地に習熟の上、漸次この地位に昇進するものになるため容易にその人材を得ることが難しいので、九等官に置くことで大いにその望みを起こし奨励させる一端とした。しかし他の同等官すなわち少尉・少機関士とはその性質を異にすることから、なお判任に止め准士官の列に置いた。九等官とした三上長は英国海軍では少尉以上と同じ上等武官 (commisioned officer) であるが、その成り立ちの性質が少尉等とは全く異なり同一視できないことから彼我を斟酌して判任の准士官とした[163]
  41. ^ 明治15年2月28日に海軍省軍務局より槙筎[注釈 10]の文字は誤写であるとして填筎に改正することを上申し[168]、明治15年6月7日の海軍武官官等表改正の際に、槙筎を填筎に修正した[169]
  42. ^ 明治17年10月1日に海軍省兵曹分課表を廃止した[171]
  43. ^ 水雷術の進歩に従い軍艦乗員の中に水雷を主務とする准士官を要するので准士官の中に兵曹上長・兵曹長を置き、従前の掌砲・水兵の二上長・二長の職を務める者及び水雷主務の者を以ってこの官に任じ、その選任は兵曹の中より行うことにした。また、填茹工長・填茹工長属の職務は木工長属に行わせることにした[172]
  44. ^ 改正の要旨によると、艦船・機関・兵器の製造・修理を計画する技術官は従来文官を用いて来たが、この事業について陸軍に比較すれば砲兵・工兵の事業と同じでありフランス・アメリカその他各国のこの技術官を以って武官に含める国が多い、艦船・兵器の進歩は駿速である今日にあっては海軍を拡張しようとすればこの事業を担当する者を文官とすることは海軍の制度に於いて良いことではないので、機技総監以下を海軍武官官等表に加えることにした。その他の下士については煩雑さを除去して簡単にし削ったものがあるがこれはみな実地に於いて不要なもののみであるとした [177]
  45. ^ このとき警吏の官名を廃止しているが、1918年(大正7年)の南洋群島の占領統治のときに、臨時特設の海軍部隊に必要に応じて置く事ができる職員に海軍警吏があり、海軍現役准士官・下士若しくは判任官の待遇を受ける者を以てこれに充てることができるとした[180]。1922年(大正11年)に南洋庁を設置したときに廃止した[181]
  46. ^ 閣議の趣旨説明によると、明治19年海軍武官官等表の艦内教授は軍艦または屯営内にて卒に読み書き算術を教授する者になる、これが必要であったのは読み書き出来ない卒があったからで、明治22年には辺境であっても教育が普及しているので徴兵される年齢の者でまったく読み書きできないものはおらず、下士を教育する練習艦に於いて数学の教師をする者が必要なこともあるものの海軍部内にて7・8名に過ぎず一時の雇教員に教授させれば十分であるので艦内教授の官を置く必要がない。警吏は軍艦・屯営内にて違反行為を警察させる者になる。これが必要であったのは水火夫には無頼漢が多かったからで、明治22年には適品行不正の者があるけれども軍紀があるので各上級者にこれを糺させる方法があり、別種の警察吏のようなものを軍艦・屯営内に置く必要はないのみならず却ってこれがあるために弊害があるので、警吏を廃止して違反行為を警察し不品行者を糺すのは各上級者の責任に委せることにした。水雷工手はその名の通り水雷の工事をする者になる。艦内にては機関手、工廠内にては技工に従事させれば十分なので別にこの官を置く必要はない。筆記・主厨は共に主計部の下士であって筆記は主として文書往復に従事させ、主厨は主として被服・物品の受け払い、食料の買弁給与に従事させるものであるけれども実際には筆記に主厨を補助させることが多く、これまでの経験によれば筆記を廃止して文書往復などは主厨の分課としてもよい。ただし主厨の名では名称と実態が適合しないので主厨を主帳に改めることにした[182]
  47. ^ 閣議の趣旨説明によると、軍艦に於いて信号と称するものは司令長官・艦長の命令を伝え、また軍艦相互の通信するのに用いる旗章・器具を管理し、これを使用して命令・伝達・通信の動作をさせる者であって重要のものである。この職に充てる者は従来兵曹の一分科であるところ、通信の器具種類が増加しその用法も従って複雑となるため到底兵曹の一分科として置くことはできない特別な職務になったため、下士の部に信号手の官名を置くことにした。明治23年勅令第293号で海軍卒職名等級表に信号夫を加えたのもこの理由に外ならないとした[185]
  48. ^ 閣議の趣旨説明によると、官等俸給令の改正により勅奏判任官の官等を廃止したため、明治19年勅令第19号海軍武官官等表はこれを廃止し更に勅令を以って海軍武官官階表を定めた。この勅令は海軍部内の官階を定めるもので陸軍武官との衡平及び陸海軍武官席次等のことは、他の日に叙位内規を改定する際に特に調査・検討になることができるとした。[190]
  49. ^ 閣議の趣旨説明によると、従来職務の種類が同じではなく根本の教育より日常の研究に至るまで全然異なるものも一括して同一の官名を附すものがあるけれども、時世の趨勢に鑑み事業の程度に応じて種類を分かち別種の官名を置く必要があるとした[194]
  50. ^ 「主厨」は明治22年7月まで主計部下士の官名であった[182]
  51. ^ 明治28年9月25日勅令第132号により海軍卒職名等級表の中を改正し「厨夫」を「主厨」[注釈 50]に改めている[195]
  52. ^ 明治29年4月の海軍武官官階表改正で主計部下士の主帳を筆記と厨宰に分けているが、これらの官名は過去にも使用していたときがある。筆記については明治22年7月まで筆記・主厨は共に主計部の下士であって筆記は主として文書往復に従事させ、主厨は主として被服・物品の受け払い、食料の買弁給与に従事させるものであったけれども、筆記を廃止して文書往復などは主厨の分課とし、主厨の名では名称と実態が適合しないので主厨を主帳に改めている[182]。また、厨宰については明治15年6月まで置いてきた艦内厨宰・同厨宰介・艦内割烹・病室厨宰の4官は実際は単にその本職に従事するだけに止まらず互いに補助させざるを得ない職掌なので、これらの4官を廃止して一等より三等までの主厨を置き従前の厨宰・割烹の職務は主厨の職務としている[163]。明治29年4月の改正にあわせて海軍筆記任用令を定めており、海軍厨宰は卒である海軍主厨[注釈 51]より任用するものの、海軍筆記は一般志願者より試験の方法により採用することを利便になるとしている。ただし、官階表改正前に於ける主厨は主帳となるべき目的を以って徴募しかつ主帳に必要な教育を経たものがありこれらは筆記適任者になるので、海軍筆記任用令発布の際に既に主厨である者で引き続き現役の者は試験の上、筆記に任用できるとした[196]
  53. ^ 閣議の趣旨説明によると、鍛冶手及び鍛冶の職業は機関事業産造の当時にあっては機関部員の担任に属するべきものが多いためにその名称を改めて鍛冶手は機関兵曹と、鍛冶は機関兵にするときは名実がそい艦内工業実施上の便益であり、かつ人員を減少することができるためとした[200]
  54. ^ このとき、当時の海軍予備員に関する規定にすこぶる不備になるだけでなく、その制度に於いてもまた大いに革新を要することから海軍予備員条例を制定している[202]
  55. ^ 海軍志願兵条例改正における閣議の趣旨説明によれば、従来実験する所によれば信号兵だけは志願兵として徴募した水兵の中より適当な者を転任させるのみでは到底所要の員数を充足することができないのでこれを廃止し、広く志願兵及び徴兵の中より適任の者を採用する方法に改め、かつこれを信号兵なる特別兵種とせずに水兵のまま必要な学科を特修させて掌信号兵にして、なおも他の掌砲兵・掌水雷兵と同一の取り扱いにすることが最も必要と判断した[205]
  56. ^ 閣議の趣旨説明によると、目的物の距離、変距、針路及び速力等を測定すること海軍として極めて必要であることであって、特別技術としてこれを修得させる必要があるとした[220]
  57. ^ a b 海軍特修兵令により特別技術を修めた下士官兵を特修兵といい特技章を付与した[208]
  58. ^ 閣議の趣旨説明によると、昭和5年6月1日より航空要員(士官を除く)を特別機関により養成するので、これを兵科より分離し航空科の兵種を設けることを必要とするとし。なお、その際に既に航空術を修め目下掌航空兵である者及び予備三等兵曹も当該系統に転じることを必要とするとした[221]
  59. ^ 閣議の趣旨説明によると、艦内工業力の活用を図るため艦内編制の中に工作科を置き船匠科員を工作科に編入させて以来その実効を挙げつつあるところ、この際に船匠科特務士官以下を機関科に転じさせて制度の改善を図る必要があるとした[223]
  60. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍武官官階及び海軍兵職階改正並びに艦内工業の統一に伴い船匠術を工術に合併する必要があるとした[223]
  61. ^ 閣議の趣旨説明によると、航空機搭載兵器の進歩及びその重要性に鑑みこれに関する教育を徹底させる必要があるとした[224]
  62. ^ 閣議の趣旨説明によると、特殊の技術と経験とを必要とする海軍航空関係特務士官以下の指揮、教育及び人事取り扱いを統制ある組織とするため、特務士官以下に整備科を新設し航空機・機体・発動機整備術を専修した者を以ってこれに充てるとともに、現在航空兵器術特修兵の中には兵科、機関科が混在しているのでこれを全て航空科に統一する必要があることによるとした[225]
  63. ^ 閣議の趣旨説明によると、掌厨術特修兵は衣糧に関する特別技術を修める者になることから衣糧術と改正しこれを掌衣糧兵と称するとともに、その特別技術を拡充向上する必要があるためとした[227]
  64. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍工作特務大尉以下の各官階及び海軍予備工作兵曹長以下の各官階を新設し各科予備特務士官の官階は廃止するためとした[228]
  65. ^ 昭和16年の海軍機雷学校令案に関する法制局参事官宛の用語解説によると、工作術とは海軍に於ける各艦船部隊の行動生存に必要とする次の事項を各艦船部隊自体にて実施する技術の総称であるとし、(1)鋳造(鉄、鋼、青銅、黄銅、軽合金、白色合金)、(2)鍛造(鉄、鋼、特殊鋼、黄銅、青銅)、(3)板金(鉄板、ジュラルミン、銅の加工)、(4)溶接(ガス及び電気溶接)、(5)仕上(各種金属の仕上げ)、(6)機械(各種金属の旋盤、フライス盤、形削盤、研磨盤及び歯切盤等による加工)、(7)木具(帯鋸機、丸鋸機、旋盤等による木具加工、鋳造用木型の製作、舟艇の修理、塗装、防腐等の諸作業)、(8)潜水作業、(9)その他「リノリウム」修理「セメント」作業、ガラス作業等、を列挙し、士官、准士官は主として材料の選択、作業の計画並びに各種工作の配分を行い下士官兵は直接作業に当たるとした[230]
  66. ^ 閣議の趣旨説明によると、整備科の予備准士官及び予備下士官の官階を新設する必要があるとした[231]
  67. ^ 海軍機雷学校令案に関する法制局参事官宛の用語解説によると、水雷術と機雷術については、日清戦争以来海軍に於いては魚雷及びこれを搭載する巡洋艦、駆逐艦、水雷艇等、各艦種の発達を見この用法全般を水雷術と称しているが、日露戦争の頃より逐次機雷の発達を見るように成り、機雷及びこれを搭載する艦艇の用法はその性質上機雷術として1部門にすべき性質を有することに拘らずその規模が極めて小さいことから、実際問題として水雷術に包含することが便利と認められてきた、今の海軍の一般的拡張する中で機雷部門の躍進的充実により機雷を搭載運用することを主目的とする艦船数もまた増加し、これの基礎教育も1学校に専らこれに当たらせる必要がある状況となったので、この際本来の性質にも鑑み機雷術として独立させることが必要になったとした[230]
  68. ^ 法制局参事官の審査資料によると、飛行科の名称に関しては、特務士官以下の武官の科別及び兵種の呼称と、各種海軍特修兵の呼称と、並びに海軍練習航空隊に於ける練習業務との間に存する「航空」の字義の差異を除き制度を簡素になるようにするため、航空の語を広義の航空に用い即ち飛行及び飛行機の整備を含ませることとし、狭義の航空は練習航空隊令の用語に倣って専ら飛行の用語に限り、特務士官以下の武官の科別及び兵の兵種における飛行科は(a)飛行を本務とする者、(b)飛行練習中の者(飛行練習生)、(c)将来飛行を本務とするため予備教育中の者(甲種及び乙種飛行予科練習生並びに海軍通信学校電信術練習生)とし、当該特修兵の種別については(a)は掌飛行兵、(b)及び(c)は特修兵ではない無章兵となり、整備科は(d)航空兵器の地上整備を本務とする者、(e)飛行機の地上整備を本務とする者、(f)は(e)の補助者とし、当該特修兵の種別については(d)は掌航空兵器兵、(e)は掌整備兵、(f)は特修兵ではない無章兵となるように整理した[234]。海軍省軍務局から法制局参事官宛ての説明資料によると、掌航空兵器兵は搭載兵器の地上整備を本務とする者であって取り扱う兵器に飛行機本体と搭載兵器との差があるけれども航空関係兵器の地上整備に任ずる点に於いて掌整備兵と共通する、また無章航空兵(飛行予科練習生及び特定の者を除く)はその大部分は掌整備兵の助手として服務し無章航空兵の中で古参有能の者は掌整備兵に準ずるものになる。しかし、前記の掌航空兵器兵と無章航空兵の両者を整備科より分離し搭乗員を主体とするべき航空科に属させるのは兵種の区分を制定する上に明確な主義方針を認めることができない。搭乗員であるべき飛行練習生教程卒業者はその出身、教育、進級、身上取扱等に関して整備関係者と大いなる差異があり、特に将来はこれの全部を飛行予科練習生出身者を以って充当する方針を執ることが必要とし、従って一般下士官兵系統の者とはその趣を異にするものであり、その兵種名称を他と判然と区別しておくことが有利であるとした[235]
  69. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍練習航空隊に於いて操縦または偵察の特別技術を修めた下士官及び兵を掌飛行兵と称することとするため改正の必要があるとした[236]
  70. ^ 法制局参事官宛の説明資料によると、従来内火術に関する技術を修得した者は掌機兵として機関術に関する技術を修得した者に包含させた者があるところ、主として潜水艦勢力の急速な増加に伴い内火術の技術を修得するものが著しく増加してきたのでこれを分離し、機関術(蒸気機関系統)及び内火術(内燃機関系統)に改めることを必要とするようになったとした[237]
  71. ^ 閣議の趣旨説明によると、従来の経験により機関科の科別を廃止してこれを兵科に併せ、士気振作の必要上特務士官の官名を尉官と同一にする等のため改正の必要があるとした。法制局参事官宛の審査資料によると、下士官及び兵の官名変更の理由は、陸軍との関係及び世間的にも改正することが適当とした[238]
  72. ^ 閣議の趣旨説明によると、暗号術、気象術及び看護術を修めた者を特修兵としそれぞれ掌暗号兵・掌気象兵及び掌看護兵と称することとするため改正が必要とした[241]
  73. ^ 閣議の趣旨説明によると、最近とみに重要性を加えつつある水中測的及び電波探信儀取り扱いの技術を特別技術とし、これを修めた海軍下士官兵を特修兵の種別に加える必要があり、特別技術を修めた者と同等の技能有すると認められた海軍予備下士官兵をも特修兵とする道と拓く必要がある等によるとした[242]
  74. ^ 閣議に主旨説明によると、最近の状勢に鑑み海軍予備員の官階及び職階より予備の名称を削り以って士気の振作に資する等の必要があるためとした[243]
  75. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍航海学校及び海軍潜水学校に各分校を設置し、海軍航海学校の分校は海軍兵科将校、特務士官及び准士官並びに特修兵たるべき海軍下士官及び兵に対する気象術の教育を、海軍潜水学校の分校は海軍特修兵たるべき海軍下士官及び兵に対する潜航術の教育を行うこととし、海軍潜水学校に関しては同校練習生修業徽章授与の制度を廃止するとともに、潜航術を修めた者は他の特別技術を修めた者と同様にこれを特修兵とする等のため改正が必要とした[244]
  76. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍軍法会議法改正法律により海軍軍法会議の録事または警査は法務科の特務士官、准士官、下士官または兵を以って充てることができることとし、海軍監獄看守長及び海軍監獄看守をも法務科の軍人を以って充てることとするため改正が必要であるとした[246]
  77. ^ 閣議の趣旨説明によると、海軍軍人についての武官制度を廃止するに伴い分限、服役、任用、進級、服制等の勅令を廃止する必要があるからであるとした[247]
  78. ^ 閣議の趣旨説明によると、連合国の指令に基づく軍の復員及び新憲法の施行に伴って、陸軍刑法を廃止する等の必要があるからであるとした[248]

出典

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  • 物集高材 編『官職一覧』 中、東京書林 星野松蔵、東京、1875年11月27日。doi:10.11501/784424NDLJP:784424 
  • 「海軍公文類纂抄録」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023322900、公文別録・海軍公文類纂抄録・明治五年~明治七年・第一巻・明治五年~明治六年(国立公文書館)
  • 「単行書・大政紀要・下編・第六十六巻」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017113000、単行書・大政紀要・下編・第六十六巻(国立公文書館)
  • 「記録材料・海軍省報告書第一」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A07062089000、記録材料・海軍省報告書第一(国立公文書館)
  • 「単行書・布令便覧二十二 兵制一上」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A07090067400、単行書・布令便覧二十二 兵制一上(国立公文書館)
  • 「海軍服制及陸軍徽章ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070878800、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十一巻・兵制・徽章一(国立公文書館)
  • 「陸海軍武官官等表改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一
  • 「海軍文官官等表海兵部中楽隊等級改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00431100、件名番号:031、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百九巻・兵制八・武官職制八
  • 「海軍官名諸艦船トモ英国海軍官名録ノ通リ唱ヘシム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
  • 「海軍武官及文官服制改定」国立公文書館、請求番号:太00452100、件名番号:019、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百三十巻・兵制二十九・徽章三
  • 「海軍武官及文官服制改定・八年十一月十二日第百六十八号ヲ以テ布告ス布告文並海軍省伺等ハ同部目ノ第二冊ニ載ス」国立公文書館、請求番号:太00454100、件名番号:001、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百三十二巻・兵制三十一・徽章五
  • 「軍艦乗組官等並日給表・二条」国立公文書館、請求番号:太00457100、件名番号:017、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百三十四巻・兵制三十三・会計二
  • 「海軍砲歩兵隊官等并俸給表」国立公文書館、請求番号:太00457100、件名番号:030、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百三十四巻・兵制三十三・会計二
  • 「陸軍恩給令ヲ改正シ及ヒ海軍恩給令ヲ定ム・四条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110505000、公文類聚・第七編・明治十六年・第二十一巻・兵制七・賞恤賜典・雑載(国立公文書館)
  • 「大正九年勅令第十号海軍武官官階ノ件中○大正九年勅令第十一号海軍兵職階ニ関スル件中ヲ改正ス・(歯科医科新設及航空科ヲ飛行科ト為スノ為)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A02030266200、公文類聚・第六十五編・昭和十六年・第十四巻・官職十一・官制十一(海軍省)(国立公文書館
  • 「海軍武官々等表改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07040061800、明治15年 「太政官達 完」(防衛省防衛研究所)
  • 「10月12日 海軍省官等表」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09120059600、明治5年10月 諸省 2 10(防衛省防衛研究所)
  • 国立国会図書館 (2007年1月). “ヨミガナ辞書” (PDF). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヨミガナ辞書. 国立国会図書館. 2023年1月9日閲覧。

関連項目

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