一柳末彦
江戸時代後期の大名
一柳 末彦(ひとつやなぎ すえよし)は、江戸時代後期の大名。播磨国小野藩10代藩主。官位は従五位下対馬守、土佐守。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保14年6月4日(1843年7月1日)[注釈 1] |
死没 | 明治14年(1881年)6月28日[1] |
別名 | 銓之丞[1] |
諡号 | 雲松院殿俊巌義傑大居士[1] |
墓所 | 兵庫県小野市垂井町の光明寺[1] |
官位 | 従五位下対馬守[1]、土佐守[1] |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定、家茂 |
藩 | 播磨小野藩主 |
氏族 | 一柳氏 |
父母 | 一柳末延 |
兄弟 | 末彦、高木正坦正室、青木某室 |
子 | 末徳 |
略歴
編集9代藩主・一柳末延の長男として小野にて誕生。生涯独身のため、正室・側室ともになし。
安政2年(1855年)、父の死去により跡を継ぐが、文久3年(1863年)6月9日に養嗣子の末徳に家督を譲って隠居し、明治14年(1881年)6月28日に39歳で死去した。