ヴワディスワフ・ジェレンスキ
ヴワディスワフ・ジェレィンスキ(ポーランド語: Władysław Marcjan Mikołaj Żeleński; またはジェリンスキ(ジェリィンスキ, Żeliński)とも, 1837年7月6日 グロトコヴィツェ - 1921年1月23日 クラクフ)は、ポーランドの作曲家・ピアニスト・オルガニスト。
ヴワディスワフ・ジェレンスキ Władysław Żeleński | |
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ヴワディスワフ・ジェレンスキの肖像 (ヤチェク・マルチェフスキ、1908年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1837年7月6日 |
出身地 |
オーストリア帝国 ガリツィア・ロドメリア王国 グロトコヴィツェ |
死没 |
1921年1月23日(83歳没) ポーランド クラクフ |
職業 | 作曲家・ピアニスト・オルガニスト |
略歴
編集クラクフでフランツィシェク・ミレツキに、プラハでヨセフ・クレイチに、パリでナポレオン=アンリ・ルベルに師事。1872年から1881年までワルシャワ音楽院で音楽理論の教師を務めた後、1888年2月7日に新設されたクラクフ音楽アカデミーの院長を務めた。
ポーランドの盛期ロマン派音楽を担った代表者であり、交響曲2つと演奏会用序曲2つ、ピアノ協奏曲1つ、ミサ曲3つのほか、カンタータやモテット、室内楽、ピアノ曲、歌曲を多数のこした。
息子のタデウシュ・ボイ=ジェレンスキは作家になった。
主要作品一覧
編集管弦楽曲
編集- 序曲《タトラ山脈にて(ポーランド語: W Tatrach)》
- 序曲《森のこだま(ポーランド語: Echa leśne)》
- 悲歌的アンダンテ《挽歌(ドイツ語: Trauerklänge, Elegisches Andante)》Op.36
- 春の交響曲(ポーランド語: Symfonie lesne)作品41
- ポーランド舞踊組曲(ポーランド語: Suita tańców polskich)作品47
- 演奏会用ポロネーズ(ポーランド語: Polonez koncertowy
協奏曲
編集- ピアノ協奏曲 イ短調
- チェロと管弦楽のためのロマンス 作品40
室内楽曲
編集- ヴァイオリンとピアノのためのロマンス 作品16
- ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 作品30
- ピアノ三重奏曲 ホ長調 作品22
- ピアノ四重奏曲 ハ短調 作品61
鍵盤楽曲
編集- オルガンのための《25の前奏曲》 作品38
声楽曲
編集100曲以上の歌曲を遺したが、中でも以下が有名。
参考資料
編集- "Żeleński Władysław". Internetowa encyklopedia PWN. 2006年11月19日閲覧。