ヴュルツブルク大公国(ヴュルツブルクだいこうこく、ドイツ語: Großherzogtum Würzburg)は、ナポレオン戦争の時期にドイツで存在した、ヴュルツブルクを首都とする大公国

ヴュルツブルク大公国
Großherzogtum Würzburg
ライン同盟の加盟国

1805年–1814年
国旗 国章
ヴュルツブルクの位置
1812年時点のヴュルツブルク大公国
首都 ヴュルツブルク
言語 ドイツ語
宗教 カトリック
政府 絶対君主制
大公
 •  1805年 - 1814年 フェルディナント1世
歴史・時代 ナポレオン戦争
 •  プレスブルクの和約 1805年12月26日
 •  ウィーン会議 1814年6月3日

1801年のリュネヴィルの和約により、ヴュルツブルク司教領英語版は1803年に世俗化され、バイエルン選帝侯領に併合された。同年、元トスカーナ大公フェルディナンド3世は補償としてザルツブルク選帝侯領を獲得した。1805年12月26日のプレスブルクの和約により、フェルディナンド3世はザルツブルク選帝侯領をオーストリア帝国に割譲したが、補償としてヴュルツブルクを獲得した。ヴュルツブルクは同条約でバイエルンがチロル伯領英語版獲得の代償として割譲していた。

フェルディナンド3世の領国は短期間ヴュルツブルク選帝侯ドイツ語: Kurfürstentum Würzburg)として知られたが、1806年8月6日に神聖ローマ帝国が解体したため大公国に昇格した。同年9月30日にライン同盟に加盟、1810年にバイエルン王国からシュヴァインフルトを得た。

ナポレオン・ボナパルトライプツィヒの戦いで敗北すると、フェルディナンド3世は1813年10月26日にフランス第一帝政との同盟を解消した。1814年6月3日、オーストリアとバイエルンは条約を締結、ヴュルツブルク大公国は解体、バイエルンに併合された。フェルディナンド3世はウィーン会議トスカーナ大公国を再び獲得した。カトリック・ヴュルツブルク司教区英語版は1821年に再設立されたが、世俗での権力は持たなかった。

参考文献

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  • Köbler, Gerhard (1988) (ドイツ語). Historisches Lexikon der deutschen Länder. Munich: Verlag C. H. Beck. p. 639. ISBN 3-406-33290-0