ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ
ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ(ロシア語: Вячеслав Ярославич、1036年? - 1057年?[1][注 1])は、キエフ大公ヤロスラフとインゲゲルド(en)(スウェーデン王オーロフの娘)との間の子である、スモレンスク公(在位:1054年 - 1057年?[1])。
ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ Вячеслав Ярославич | |
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スモレンスク公 | |
ヴャチェスラフのシール | |
在位 | 1054年 - 1057年? |
出生 |
1036年? |
死去 |
1057年? |
配偶者 | オダ・フォン・シュターデ |
子女 | ボリス |
家名 | リューリク家 |
父親 | キエフ大公ヤロスラフ1世 |
母親 | インゲゲルド・アヴ・スヴェーリエ |
生涯
編集生誕地はおそらく、生涯の大半を過ごしたキエフである。また、幼少期にシュターデ伯レオポルドの娘・オダ(ru)との結婚が決められた。1054年の父の死後、スモレンスク公国を得た[3]。しかし、おそらくその三年後に死亡し[4]、まだ幼いボリス(ru)が後に遺された[注 2]。スモレンスク公位は兄弟のイーゴリが継いだ。
出典
編集注釈
編集脚注
編集参考文献
編集- Биография и портрет на сайте «Українці в світі»
- 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。
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