ヴェルフ2世 (バイエルン公)
ヴェルフ2世(Welf II., 1072/3年 - 1120年9月24日)は、バイエルン公(在位:1101年 - 1120年)。ヴェルフ1世とフランドル伯ボードゥアン4世の娘ユーディトの長男。ハインリヒ9世の兄。ヴェルフ家ではヴェルフ5世と呼ばれる。肥満公(der Dicke)とも称される。
ヴェルフ2世 Welf II. | |
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バイエルン公 | |
ヴェルフ2世とマティルダ | |
在位 | 1101年 - 1120年 |
出生 |
1072/3年 |
死去 |
1120年9月24日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン公領、ヴァインガルテン修道院 |
配偶者 | トスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサ |
家名 | ヴェルフ家 |
父親 | ヴェルフ1世 |
母親 | ユーディト・フォン・フランデルン |
生涯
編集当時、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世が叙任権闘争で争っていたが、父は教皇派に与して1077年、ハインリヒ4世によってバイエルン公位を剥奪された。1089年にヴェルフ2世はトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサと結婚したが、教皇派との関係を強めたい父の意向があった。また、この結婚で教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれていった(教皇派と皇帝派を参照)。
しかし、1095年にマティルデと離婚した。この出来事は父が皇帝派に鞍替えしたためとされている。事実、翌1096年にヴェルフ1世はハインリヒ4世からバイエルン公位を授かっている。1101年に父が十字軍に参戦(1101年の十字軍)、帰途でキプロス島で没したため、バイエルン公位を継いで皇帝ハインリヒ5世の下に属した。
1120年没。子が無かったため、バイエルンは弟のハインリヒ9世が継いだ。遺体は父と同じくヴァインガルテン修道院に埋葬された。
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