ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)

ヴィルヘルム1世ドイツ語:Wilhelm I., 1392年 - 1482年7月25日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、リューネブルク(在位:1416年 - 1428年)、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(在位:1428年 - 1432年1473年 - 1482年)、カレンベルク侯(在位:1432年 - 1473年)、ゲッティンゲン侯(在位:1463年 - 1473年)。勝利公(der Siegreiche)と呼ばれた。ヴォルフェンビュッテル侯、リューネブルク侯ハインリヒ1世とその最初の妃ゾフィー・フォン・ポンメルンの長男。

ヴィルヘルム1世
Wilhelm I.
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
在位 1416年 - 1482年

出生 1392年
死去 1482年7月25日
配偶者 ツェツィーリエ・フォン・ブランデンブルク
  マティルデ・フォン・ホルシュタイン=シャウエンブルク
子女 フリードリヒ3世
ヴィルヘルム2世
オットー
家名 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
父親 ヴォルフェンビュッテル侯・リューネブルク侯ハインリヒ1世
母親 ゾフィー・フォン・ポンメルン
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生涯

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初めはリューネブルク侯領を治めていたが、1428年に伯父のヴォルフェンビュッテル侯ベルンハルト1世と領土を交換、ヴィルヘルム1世はヴォルフェンビュッテルを、ベルンハルト1世はリューネブルクを獲得した。

1432年に遠征に出かけた際、異母弟ハインリヒ2世によってヴォルフェンビュッテル侯の地位を追われた。ヴィルヘルムはヴォルフェンビュッテルの西側の地域(ライネ川の西にあり、ヒルデスハイム司教領によってヴォルフェンビュッテルとは隔てられていた)を保持し、この地域はカレンベルク侯領と呼ばれるようになり、後にハノーファー選帝侯領となる。

1463年にゲッティンゲン侯オットー2世が死去すると、ヴィルヘルムはゲッティンゲン侯領を手に入れた。また、1473年にハインリヒ2世が男子のないまま死ぬと、ヴォルフェンビュッテルを取り戻し、2人の息子フリードリヒ3世およびヴィルヘルム2世にカレンベルク侯領とゲッティンゲン侯領を譲った。

子女

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1423年ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世の娘ツェツィーリエと結婚し、2人の息子をもうけた。

1466年、シャウエンブルク=ピンネベルク伯オットー2世の娘でリューネブルク侯ベルンハルト2世の未亡人であったマティルデと結婚した。1男が生まれたが、マティルデは出産から2日後の1468年7月22日にノイシュタット・アム・リューベンベルゲで死去した。

  • オットー(1468年 - 1471年)

参考文献

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  • Johann Heinrich Zedler. “Wilhelm IV”. Grosses vollständiges Universal-Lexicon. vol. 56. pp. 581-584. https://www.zedler-lexikon.de/index.html?c=blaettern&id=485133&bandnummer=56&seitenzahl=0581&supplement=0&dateiformat=1%27) 
  • Wilhelm (William) "The Victorious" (1400–1482)”. www.gwleibniz.com. 2023年4月10日閲覧。
  • Paul Zimmermann (1897). "Wilhelm der Aeltere". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 42. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 733–738.
爵位・家督
先代
ハインリヒ1世
リューネブルク
1416年 - 1428年
次代
ベルンハルト1世
先代
ベルンハルト1世
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
1428年 - 1432年
次代
ハインリヒ2世
先代
新設
カレンベルク
1432年 - 1473年
次代
フリードリヒ3世ヴィルヘルム2世
先代
オットー2世
ゲッティンゲン侯
1463年 - 1473年
次代
フリードリヒ3世ヴィルヘルム2世
先代
ハインリヒ2世
ヴォルフェンビュッテル侯
1473年 - 1482年
次代
フリードリヒ3世ヴィルヘルム2世