ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク
ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク(丁: Vilhelmine Caroline af Danmark, 1747年7月10日 - 1820年1月14日)は、デンマーク=ノルウェー王フレゼリク5世とその最初の妃でイギリス王ジョージ2世の娘であるルイーズとの間に生まれた次女。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世に嫁いだ。ドイツ語名はヴィルヘルミーネ・カロリーネ・フォン・デーネマルク(Wilhelmine Karoline von Dänemark)。
ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク Vilhelmine Caroline af Danmark | |
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ヘッセン選帝侯妃 | |
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在位 | 1785年 - 1820年 |
出生 |
1747年7月10日 デンマーク、コペンハーゲン、クリスチャンスボー宮殿 |
死去 |
1820年1月14日(72歳没) ヘッセン選帝侯国、カッセル |
埋葬 | ヘッセン選帝侯国、カッセル |
配偶者 | ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世 |
子女 |
マリー・フリーデリケ カロリーネ・アマーリエ フリードリヒ ヴィルヘルム2世 |
家名 | オルデンブルク家 |
父親 | デンマーク=ノルウェー王フレゼリク5世 |
母親 | ルイーズ・オブ・グレート・ブリテン |
生涯
編集1764年9月1日、カロリーネはクリスチャンスボー宮殿において、ヘッセン=カッセル方伯家の世子でハーナウ伯のヴィルヘルムと結婚した。ヘッセン=カッセル家は最も裕福なドイツ諸侯の一つであった。カロリーネとヴィルヘルムは母方の従兄妹同士で、さらにヴィルヘルムは1755年よりコペンハーゲン宮廷でカロリーネや彼女の兄弟と一緒に育っており、2人の結婚はかなり以前から決められていた。
夫のヴィルヘルムは1785年にヴィルヘルム9世としてヘッセン=カッセル方伯位を継ぎ、1803年にはヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世となった。カロリーネは冷淡な雰囲気の美女だったと言われるが、夫の絶え間ない浮気癖と彼の愛妾たちの増長に悩まされ、不幸な結婚生活を送った。1806年から1813年までヴェストファーレン王国がヘッセン選帝侯領を併合していたときは、シュレースヴィヒやプラハで亡命生活を送った。
子女
編集- マリー・フリーデリケ(1768年 - 1839年) - 1794年、アンハルト=ベルンブルク公アレクシウス・フリードリヒ・クリスティアンと結婚
- カロリーネ・アマーリエ(1771年 - 1848年) - 1802年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公アウグストと結婚
- フリードリヒ(1772年 - 1784年)
- ヴィルヘルム2世(1777年 - 1847年)