ヴィリウス・ストーロスタス・ヴィドゥーナス
ヴィリウス・ストーロスタス・ヴィドゥーナスまたはヴィルヘルマス・ストーロスタス・ヴィドゥーナス (リトアニア語: Vilius/Vilhelmas Storostas-Vydūnas、1868年3月22日 – 1953年2月20日) は、プルーセン・リトアニア人[1]の教師、詩人、ヒューマニスト、哲学者で、リトアニア[2][3][4][5]の作家。ヴィドゥーナスはペンネームで、出生名はヴィルヘルム・シュトロスト (ドイツ語: Wilhelm Storost)。小リトアニアのプルーセン・リトアニア人民族運動の指導者であり、東プロイセンにおけるブラヴァツキー神智学の指導者の一人である。
生涯
編集ストーロスト家は数世紀にわたる東プロイセンの住民だった。ヴィドゥーナスはプロイセン王国領のヘイデクルク(現シルテ)付近のヨナテン村(現ヨナイチャイ、リトアニア語: Jonaičiai)に生まれた。彼の名はドイツのパスポートではヴィルヘルム・シュトロスト(Wilhelm Storost)と書かれたが、彼自身や家族、またリトアニア人たちはリトアニア語書法によって彼をヴィリマス(Vilimas)またはヴィリウス・ストーロスタス(Vilius Storostas)と呼んだ。「ヴィドゥーナス」という名は40歳ごろになってから彼が姓につけた仮名である。彼の大甥ユーゲン・シュトロストによると、ヴィドゥーナスの友人ヴィクトル・ファルケンハーンは「彼が『ヴィドゥーナス』というペンネームを使ったのは、人智学の使命を選んだからだ。だから彼は『パヴィドゥーナス』ではなく『ヴィドゥーナス』(すべての人と物が善であると信ずる者)であろうとしたのだ」と語っている。ヴィドゥーナスはクララ・フルハーゼという女性と結婚した。
1883年から1885年の間、ヴィドゥーナスはピルカーレン(現ドブロヴォリスク)のプレパランデナンシュタルトで教師になるために就学し、1888年から1892年までキンテン(リトアニア語ではキンタイ)で教鞭をとり、その後ティルジット(現ソヴィエツク)の男子校でドイツ語、フランス語、英語、リトアニア語、体育を教えた。1912年、哲学を学ぶために教職を離れ、グライフスヴァルト、ハレ、ライプツィヒ、ベルリンの大学を転々とした。1918/9年にはエドゥアルド・サヒャウのもと、ベルリンでの東方言語セミナーでリトアニア語を教えている。ティルジットに帰った後、ヴィドゥーナスはリトアニア文化、特に民謡や農村の伝統の復興を自らの使命と決めた。彼は合唱団の監督となって数々の歌や演劇を執筆した。1933年からはメーメル(現クライペダ)の音楽学校で働いている。
1932年、ヴィドゥーナスは『700年間のドイツとリトアニアの関係』(ドイツ語: Sieben Hundert Jahren Deutsch-Litauischer Beziehung)と題した本を著したが、彼の民族観がナチスに問題視され、翌1933年に発禁処分を受けた。1938年に2か月間投獄されたが、抗議が実り短期間で釈放された。
独ソ戦の結果ソ連が東プロイセンを占領すると、他の東プロイセン人の例に漏れずヴィドゥーナスも亡命を余儀なくされ、難民キャンプでの生活を送った。1953年、ヴィドゥーナスは西ドイツのデトモルトで没した。
影響
編集ヴィドゥーナスはリトアニア文化再興の一環として、キリスト教化以前のリトアニアの宗教にも強い関心を持っていた。現代リトアニアのネオペイガンであるロムヴァやドルウィは、ヴィドゥーナスに強い影響を受けており、彼を創始者としている。ただし彼自身は民族指導者であろうとしたのであって宗教指導者となることは望んでおらず、「異教の復活」を掲げたことはなかった。とはいえ彼の影響力は、彼自身の政治的指導者や作家としての自己認識を同時代の時点ではるかに超えていた。後の伝記作家たちは、ヴィドゥーナスをインドのタゴールやマハトマ・ガンディーになぞらえた。
ヴィドゥーナスはベジタリアンであった。彼はその他様々な倫理的選択を書いたエッセイをいくつか著している[6]。また、リトアニア作家協会からノーベル賞候補として推挙されたこともある[2][7]。
脚注
編集- ^ "Lietuvininkas Vydūnas" Dr. Algirdas Matulevičius (1993). "Vydūnas – Mažosios Lietuvos istorikas" (リトアニア語). 2007年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月15日閲覧。
- ^ Welters, Linda (1999). Folk Dress in Europe and Anatolia: Beliefs About Protection and Fertility. Berg Publishers. p. 214. ISBN 1-85973-287-9. "Lithuanian philosopher Vydunas"
- ^ Prof. Kšanienė, Daiva (9 October 2003). "Vydūnas". Voruta (Lithuanian). 2007年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月16日閲覧。
- ^ Bradūnas, Kazys (1979). “A conversation with Tomas Venclova”. Lituanus 25 (3) 16 October 2007閲覧。.
- ^ “Žymių žmonių pasisakymai apie gyvūnų išnaudojimą”. Animal Rights Lithuania. 7 December 2008閲覧。 (in Lithuanian)
- ^ Genys, Arvydas (2000). "Laisvės ir literatūros hipostazės". Mokslo Lietuva (4). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月7日閲覧。
参考文献
編集- Ernst Bahr, Kurt Forstreuter, Altpreussische Biographie. Bd. 2., Lfg. 6. (Steffeck – Vydunas), Elwert: Marburg 1956, p. 764
- Vydûnas' Vater. Zu Herkunft und Elternhaus des bedeutenden preußisch-litauischen Schriftstellers Wilhelm Storost-Vydûnas, Teil 1. In: Ostdeutsche Familienkunde, Band 12, 39. Jahrgang, Heft 3, Verlag Degener: July–September 1991, pp. 385–392.
- Vydûnas' Vater. Zu Herkunft und Elternhaus des bedeutenden preußisch-litauischen Schriftstellers Wilhelm Storost-Vydûnas, Teil 2. In: Ostdeutsche Familienkunde, Band 12, 39. Jahrgang, Heft 4, Verlag Degener: October–December 1991, pp. 427–434. (Family origin of Storost-Vydunas)
- J.Storost:Vydunas in seinen letzten Lebensjahren, Ostdeutsche Familienkunde – Zeitschrift für Familiengeschichtsforschung, Band XIII – 41. Jg., Verlag Degener 1993, pp. 161–169, 193–196. (letters & documents)