ワット・シーチュム (スコータイ)

ワット・シーチュム (Wat Si Chum、タイ語: วัดศรีชุม) は、タイ北部スコータイの旧市街となるスコータイ歴史公園の北西部にある仏教寺院遺跡である。

ワット・シーチュム
วัดศรีชุม
Wat Si Chum
基本情報
座標 北緯17度1分37秒 東経99度41分36秒 / 北緯17.02694度 東経99.69333度 / 17.02694; 99.69333座標: 北緯17度1分37秒 東経99度41分36秒 / 北緯17.02694度 東経99.69333度 / 17.02694; 99.69333
宗教 仏教
地区 ムアンスコータイ郡
スコータイ県
タイ王国の旗 タイ
建設
様式 スコータイ様式
創設者 サイルータイ
着工 1292年(仏像)
完成 14世紀末
建築物
正面
資材 ラテライト
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仏堂内の坐像プラ・アチャナ

寺院名のシー・チュムは「菩提樹の森」の意味をもつ[1]。ワット・シーチュムは、王サイルータイ(マハータンマラーチャー2世)により14世紀末に建立されたと考えられる[2]

構成

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石版に描かれた釈迦の前世(ジャータカ)の描画(レプリカ)

複合体はすべて堀に囲まれている。複合体の中央に重厚な仏堂(モンドップ、mondop)がある。その仏堂内には、高さ15.6m、幅11.3mの[3]「プラ・アチャナ」 (Phra Achana 〈Phra Ajana〉、「アチャナ仏」[4]) と呼ばれる降魔仏坐像(触地印[5]がある。アチャナはパーリ語で「動かないもの、変わらないもの」を意味し[4]、その仏像はラームカムヘーン大王碑文に言及されている[5]「プラ・アカナ」(アカナ〈acana〉はアカラ〈acala〉と同じく「不動の」を意味する)であるといわれる[2]。このスコータイで最大の仏坐像は[6]、1953-1956年に修復された[1]

仏堂は各面の幅32m、高さ15mで[6]、正方形の基壇を持ち、壁は2重構造でその厚さはおよそ3mである[2]。東壁の南側には、屋上に通じている幅わずか45cmという[3]狭い階段の通路が認められる[2]。この通路の天井より釈迦の前世(ジャータカ)の肖像が彫られた50枚以上の石版(スレート)が発見された[2]。13世紀後半のものとされるこれらの石版は[7]、タイ美術の描画における最古の残存例である[8]。これらは現在、ラームカムヘーン国立博物館ドイツ語版に収蔵されている[3][9]

仏堂の東には、支柱の断片と3体の仏像の台座のある礼拝堂(ウィハーン、wihan)の遺構がある。仏堂の北には別の小さな礼拝堂の遺構があり、そのもう1つのより小さい礼拝堂には仏像がある[3]

伝説

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アユタヤ年代記』にはアユタヤの王ナレースワンが軍兵を集めた「ルーシー・チョム」として認められる。王たちは出兵する兵士や人民の士気を鼓舞するために、隠し廊下を通り、穴を抜けて人民に語りかけ、その演出で彼らは聞こえてくる声が本当に仏のものであると信じたという伝承がある[1]。このことからプラ・アチャナは「しゃべる大仏」[4] (Phra Pood Dai) とも呼ばれた[9]

脚注

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  1. ^ a b c 中村浩『ぶらりあるきチェンマイ・アユタヤの博物館』芙蓉書房出版、2016年、92頁。ISBN 978-4-8295-0701-8 
  2. ^ a b c d e 金子民雄『スコータイ美術の旅』星雲社、1985年、71-75頁。ISBN 4-7952-8957-3 
  3. ^ a b c d Wat Si Chum, Sukhothai, Thailand”. Asian Historical Architecture. orientalarchitecture.com. 2017年9月9日閲覧。
  4. ^ a b c ワット・シー・チュム”. タイ国政府観光庁. 2017年9月9日閲覧。
  5. ^ a b 高杉等『東南アジアの遺跡を歩く』めこん、2001年、204-205頁。ISBN 4-8396-0144-5 
  6. ^ a b 谷克二『タイ/ラオス歴史紀行』((第3版))日経BP、2008年、23頁。ISBN 978-4-86130-336-4 
  7. ^ フィリップ・ローソン 著、レヌカー・M、永井文、白川厚子 訳『東南アジアの美術』めこん、2004年、230頁。ISBN 4-8396-0172-0 
  8. ^ 伊東照司『東南アジア美術史』雄山閣、2007年、65頁。ISBN 978-4-639-02006-6 
  9. ^ a b Wat Si Chum”. Renown Travel. 2017年9月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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