ワシリー・アガプキン
ロシア帝国・ソビエト連邦の作曲家・軍人
ワシリー・イワノビッチ・アガプキン (Васи́лий Ива́нович Ага́пкин、Vasily Ivanovich Agapkin〈ヴァスィーリイ・イヴァーナヴィチ・アガープキン〉、1884年2月3日 - 1964年10月29日)[1]は、ロシア・ソビエト連邦の陸軍軍人、指揮者、作曲家。行進曲「スラブ娘の別れ」の作曲者。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/Vasiliy_Agapkin.jpg/220px-Vasiliy_Agapkin.jpg)
生涯
編集1884年2月3日、リャザン県ミハイロフ区シャンチェロヴォ生まれ。1912年、タンボフ音楽学校入学。1915年、同校卒業、陸軍入営。十月革命時は自主的に赤軍に加わる。革命後は内務人民委員部(NKVD)の勤務員となり、NKVDのオーケストラの指揮者を務めた。
アガプキンは1941年11月7日にモスクワの赤の広場で行われた有名なパレードで、複合軍事オーケストラを指揮した。このパレードで演奏された行進曲4曲のうち1曲が「スラブ娘の別れ」であった。1945年のモスクワ凱旋パレードでもオーケストラを指揮している。
死後も曲した音楽は2004年制作の「72 Meters」など多くの映画に使用されている。
脚注
編集- ^ “Vasily Ivanovich Agapkin”. 2007年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月12日閲覧。