ロンセスバーリェス
ロンセスバーリェスまたはロンセスバージェス(スペイン語: Roncesvalles)は、スペイン・ナバーラ州のムニシピオ(基礎自治体)。
州 | ナバーラ州 |
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県 | ナバーラ県 |
面積 | 15.1 km² |
標高 | 923m |
人口 | 33 人 (2014年) |
人口密度 | 2.19 人/km² |
北緯43度00分33秒 西経1度19分12秒 / 北緯43.00917度 西経1.32000度座標: 北緯43度00分33秒 西経1度19分12秒 / 北緯43.00917度 西経1.32000度
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地理
編集ピレネー山脈の標高900m地点を流れるウロビ川岸に位置する。スペイン=フランス国境までの距離は、最短距離で約4km、道路に沿って約21kmである。ナバーラ州北東部のメリンダ・デ・サングエサに属し、メリンダ・デ・サングエサ北部のコマルカ・デ・アウニャメンディに属する。州都パンプローナまでの距離は47km。2014年の人口は33人。
歴史
編集778年、ロンセスバーリェスの戦い(ロンスヴォーの戦い)において、山岳バスク人と戦ったカール大帝が敗北を喫し、騎士ローランが戦死した地としてロンセスバーリェスは知られている。
ロンセスバーリェスにある小さなコレヒアータ・デ・サンタ・マリア教会(es)には、ローランにちなんだ興味深い遺物が含まれている。戦いはロンセスバージェス峠へつながるバルカルロスの谷で起きたとされている。この道は、ロンセスバーリェスから北のサン=ジャン=ピエ=ド=ポル(現在はフランス領)へとつながる主要道として行き来されてきた。
また、教会にはナバラ王サンチョ7世の墓と、彼が1212年にナバス・デ・トロサの戦いで持ち帰った戦利品も展示され、ムワッヒド朝の黒人奴隷を繋いでいた鎖をサンチョ7世が破ったと伝えられ、その一部が教会に保管された。墓に横たわる像の長さは7フィート4インチあり、サンチョ7世の等身大の大きさだとされている[1]。
中世以後、コレヒアータ教会はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路をゆくカトリック巡礼者の好む宿場となり、フランス側からピレネーを越えてきて初めに宿泊する地となった。毎年数千人の巡礼者が、ロンセスバーリェスからサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう。
人口
編集ロンセスバーリェスの人口推移 1900-2001 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
ギャラリー
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集落にある彫刻作品
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ロンセスバーリェス学寮病院
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ロンセスバーリェスの戦いを描いたタペストリー(15世紀)
脚注
編集外部リンク
編集- Roncesvalles carolingio y jacobeo
- Orreaga / Roncesvalles in online Basque encyclopedia
- Walking the Camino de Santiago, A Guide
- "The Battle of Roncesvalles" by Thomas Bulfinch (1796–1867), from Legends of Charlemagne
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Roncesvalles". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 689.