ロレンツァ・マッツェッティ

ロレンツァ・マッツェッティLorenza Mazzetti1927年7月26日 - 2020年1月4日)はイタリア小説家。自らの悲劇的な幼少期をベースにした、1961年出版の小説『ふたりのトスカーナ』で知られる。1950年代英国ロンドンの映画運動「フリー・シネマ」の創始者のひとりとして知られる映画作家でもある。

ロレンツァ・マッツェッティ
ロレンツァ・マッツェッティ
誕生 (1927-07-26) 1927年7月26日
トスカーナ州フィレンツェ
死没 (2020-01-04) 2020年1月4日(92歳没)
ローマ
職業 小説家
言語 イタリア語
国籍 イタリアの旗 イタリア
最終学歴 ロンドン大学スレイド美術学校
活動期間 1954年 - 2019年
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来歴・人物

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1927年、彼女はイタリア・トスカーナ州フィレンツェに生まれ、非常に幼くして孤児になり、2人の娘を持つ伯父と伯母に育てられた。1944年8月3日、SS(ナチス親衛隊)に伯母と2人の従姉妹を殺された。伯父は1年後に自殺した。

1950年代初頭、マッツェッティは英国ロンドンに移住し、ロンドン大学スレイド美術学校(Slade School of Art)に学ぶ。スレイド校でつくった短篇映画の力強さに、英国映画協会実験映画ファンドは、ロンドンのイーストエンドの2人の聾唖者についての映画である『Together』をつくる機会を賞として授与した。カレル・ライストニー・リチャードソンの共同監督作『Momma Don't Allow』とリンゼイ・アンダーソン監督の『オー・ドリームランド (O Dreamland)』とともに、最初の「フリー・シネマ」の一部として、1956年2月5日国立映画劇場(NFT、現:BFIサウスバンク(BFI Southbank))で上映されたあと、3作すべてが同年の第9回カンヌ国際映画祭で上映されることとなった。

マッツェッティは1959年ローマに移住、そこでもイタリア放送協会RAI TV)のためにテレビ番組をつくりつづけた。1960年代初期にチェーザレ・ザヴァッティーニが監修した2本のオムニバスに参加、どちらも当時日本でも公開されている。

1961年に発表した自伝的小説『Il Cielo cade(天が落ちてくる)』で翌1962年ヴィアレッジョ賞Viareggio Prize)を受賞[1]。同作を含めた三部作を著わすことになる。その後「お花畑の人形劇場 Il Puppett Theatre di Campo de' Fiori」を設立。

2020年1月4日、ローマに於いて死去した[2]。92歳没。

フィルモグラフィー

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原作
監督アンドレア&アントニオ・フラッツィ、出演イザベラ・ロッセリーニジェローン・クラッベ
2001年ベルリン国際映画祭ドイツ児童救済週間部門特別賞

書籍

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  • ふたりのトスカーナ Il Cielo cade(「天が落ちてくる」の意) 1961年(邦訳 ISBN 4812411092
  • 娘たちは怒りをこめて Con rabbia 1963年(邦訳、1965年
  • Uccidi il padre e la madre 1969年

脚注

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  1. ^ 数多くのサイト、たとえば「Cinemaitaliano.info」などに受賞の記述がみられる。しかし英語版Viareggio Prizeと伊語版Premio Viareggioとの受賞者リストには、マッツェッティの名がみつけられない。
  2. ^ "Addio alla scrittrice Lorenza Mazzetti". ANSA. Agenzia Nazionale Stampa Associata. 5 January 2020. p. 1. 2020年1月5日閲覧

外部リンク

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