ロバート・ウォルター・ウィアー
アメリカの画家、教師(1803-1889)
ロバート・ウォルター・ウィアー(Robert Walter Weir、1803年6月18日 - 1889年5月1日)はアメリカ合衆国の画家、教師である。アメリカ合衆国の風景を描いた「ハドソン・リバー派」の画家の一人とされる[1]が、アメリカ植民地時代の歴史を題材にした絵画でも知られる。
ロバート・ウォルター・ウィアー John Ferguson Weir | |
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生誕 |
1803年6月18日 アメリカ合衆国、ニューロシェル |
死没 |
1889年5月1日 アメリカ合衆国、ニューヨーク |
運動・動向 | ハドソン・リバー派 |
略歴
編集ニューヨークで生まれた。大学などの教育は受けておらず18歳まで商店で雇われていたが画家になるために仕事をやめた。ニューヨークで美術を学び始め、1824年にイタリアに渡り、フィレンツェ、ローマでルネサンス期の巨匠の作品を学んだ[2]。1827年にニューヨークに戻り、1834年までニューヨークに滞在し、ニューヨークの美術家たちの中で重要な人物と認められた。1829年に創立まもないニューヨークの美術学校、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた。その後、ニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校で美術を教えた[3]。
40年以上、士官学校の美術教授として働き、有名な教え子にはジェームズ・マクニール・ホイッスラーやセス・イーストマンがいる[4]。
2度結婚し、16人の子供を作った[5]。息子のジョン・ファーガソン・ウィアー(John Ferguson Weir:1841–1926)は画家・彫刻家となりイェール大学美術学校(School of Fine Arts at Yale University、後のYale School of Art)の校長を務めた。別の息子のジュリアン・オールデン・ウィアー(Julian Alden Weir:1852–1919)はアメリカ合衆国における印象派の重要な画家になった。
作品
編集脚注
編集- ^ “Robert W”. Math.usma.edu (2000年11月28日). 2012年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月20日閲覧。
- ^ Kent Ahrens,"The Portraits of Robert Weir," American Art Journal, Vol. 6, No. 1, p. 4
- ^ Ahrens, p. 4.
- ^ “USMA site on Weir”. Math.usma.edu (2000年11月28日). 2012年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月20日閲覧。
- ^ Jones, Jennifer (Spring 2012). “Portraits of Influence:Robert Walter Weir (1803-89)”. BYU Magazine: 31 .