ロターリオ2世 (イタリア王)
ロターリオ2世(Lotario II, 926年または928年 - 950年)は、イタリア王(在位:945年 - 950年)。アルルのロターリオ(Lotario di Arles)とも呼ばれる。
ロターリオ2世 Lotario II | |
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イタリア王 | |
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在位 | 945年 - 950年 |
出生 |
926/8年 |
死去 |
950年 |
配偶者 | アーデルハイト・フォン・ブルグント |
子女 | エンマ |
家名 | ボゾン家 |
父親 | ウーゴ |
母親 | アルダ |
宗教 | カトリック教会 |
生涯
編集プロヴァンスのウーゴの息子で、931年にはイタリアの王位を手にした。937年に父はイタリアと隣接する国との和平のために、彼とブルグント王ルドルフ2世の16歳の娘アデライーデとを結婚させた。945年、イヴレーアのベレンガーリオは、ウーゴを退位させ息子に譲り、「最高顧問」の地位を封建領主に譲らせた。ロターリオはそのため唯一の王となるが、その期間は短く、彼の父は再び王位を得る事に成功し、それは947年の父ウーゴの死の年まで続いた。945年から後は権力は実質的にはイヴレーア辺境伯により管理された。
ロターリオはベレンガーリオによりおそらく毒殺され、950年に没した。ベレンガーリオはイタリアにおける自身の権力を固めるため、ロターリオの未亡人アデライーデを息子アダルベルト2世と結婚させようとした。しかし、アデライーデは東フランク王オットー1世の保護を求め、951年にパヴィーアにてオットー1世と再婚した。ドイツ人の王オットーは、パヴィーアの戴冠によりベレンガーリオの後継者として認められた。
子女
編集アデライーデとの間に1女をもうけた。