レス・アレン

イングランドのサッカー選手

レスリー・ウィリアム・アレンLeslie William Allen, 1937年9月4日 - )は、ロンドンバーキング・アンド・ダゲナム区ダゲナム出身の元サッカー選手。ポジションはFW

レズ・アレン
名前
本名 レスリー・ウィリアム・アレン
Leslie William Allen
愛称 Les
ラテン文字 Les Allen
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1937-09-04) 1937年9月4日(87歳)
出身地 ダゲナム
身長 178cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1954-1959 イングランドの旗 チェルシー 44 (11)
1959-1965 イングランドの旗 トッテナム 119 (47)
1965-1969 イングランドの旗 QPR 128 (55)
通算 291 (113)
代表歴2
1961  イングランド U-23 1 (0)
監督歴
1969-1970 イングランドの旗 QPR
1971 ギリシャの旗 アリス
1972-1974 イングランドの旗 スウィンドン
1. 国内リーグ戦に限る。2020年11月11日現在。
2. 2020年11月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

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1954年にチェルシーFCでプロサッカー選手としてのキャリアを歩むが、チェルシーではスタメンの地位を確保できず、サブのFWとしてプレーするにとどまった。

1959年にビル・ニコルソンが指揮を取るトッテナム・ホットスパーFCに加入。加入後、スタメンの座を掴むと1956-60シーズンのFAカップ、13-2の記録的なスコアで勝利したクルー・アレクサンドラFC戦で5得点を記録した。

1960-61シーズンはボビー・スミスクリフ・ジョーンズと共に得点を量産。リーグ戦23得点を挙げ、リーグとカップの二冠達成に貢献した。しかしその翌1961-62シーズンにジミー・グリーブスが加入すると出場機会が減少した。トッテナムでは公式戦通算61ゴールを記録した。

1965年に2万1000ポンドの移籍金でクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに移籍した。1966-67シーズンのリーグカップ優勝に貢献した。

QPRで1969年に現役を引退した後、1970年までの1年間監督に就任してクラブの指揮を取った。その後アリス・テッサロニキを経て1972年にスウィンドン・タウンFCの監督を2年間務めた。

家族

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息子のクライヴは自身と同じくチェルシーFCトッテナム・ホットスパーFCクイーンズ・パーク・レンジャーズFCでプレーしたサッカー選手。トッテナム時代の1986-87シーズンにはリーグ得点王の活躍を見せた。他にもウェストハム・ユナイテッドFCミルウォールFCなど合計7つのロンドンのクラブでプレーした。

同じく息子のブラッドリーも自身と同じくQPRでプレーしたサッカー選手だった。他にもチャールトン・アスレティックFCグリムズビー・タウンFCなどでプレーした。

クライヴの息子、自身から見て孫のオリヴァーはウェストハム、トッテナムのユース出身で、バーネットFCなどでプレーした。

弟のデニスはレディングFCで活躍したサッカー選手。チャールトンやAFCボーンマスでもプレーした。また、チェルトナム・タウンFCでは監督を務めた。

デニスの息子、自身から見て甥のマーティンはQPRやウェストハムでプレーした後、バーネットやブレントフォードFCレスター・シティFC、チェルトナム、ノッツ・カウンティFCジリンガムFCなどで監督を歴任した。

マーティンの息子、自身からみて姪孫のチャーリーはレディングやブレントフォードのユースに所属した後、ダゲナム・アンド・レッドブリッジFCやノッツ、ジリンガムなどでプレーした。

デニスの下の弟のロンはサッカー選手では無かったが、ロンの息子、自身から見て甥のポールはウェストハムやトッテナムなどで活躍。トッテナムでは370試合に出場した。他にもスウィンドンやミルウォールなどでプレーした。

一族で年代は違えど同じクラブに所属することが多く起こった。

タイトル

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現役

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チェルシー
  • リーグ:1954-55
  • FAチャリティ・シールド:1955
トッテナム
  • リーグ:1960-61
  • FAカップ:1960-61,1961-62
  • FAチャリティ・シールド:1961,1962
  • UEFAカップウィナーズカップ:1962-63
QPR
  • リーグカップ:1966-67

監督

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アリス・テッサロニキ
  • Greater Greece Cup:1971

外部リンク

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