レオ11世 (ローマ教皇)
レオ11世(Leo XI, 1535年6月2日 - 1605年4月27日[1])は、17世紀初めのローマ教皇(在位:1605年)。本名はアレッサンドロ・オッタヴィアーノ・デ・メディチ(Alessandro Ottaviano de' Medici)。
レオ11世 | |
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第232代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 1605年4月1日 |
教皇離任 | 1605年4月27日 |
先代 | クレメンス8世 |
次代 | パウルス5世 |
個人情報 | |
出生 |
1535年6月2日 フィレンツェ公国、フィレンツェ |
死去 |
1605年4月27日(69歳没) 教皇領、ローマ |
その他のレオ |
トスカーナ大公国のメディチ家とは遠縁に当たり、マリア・デ・メディチを妻としていたフランス王アンリ4世の後援を受けて1605年4月1日に教皇位についたが、選出のわずか26日後に世を去った。
彼が教皇の座に就けたのは、トスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチの影響力が大きい。この元枢機卿はレオ11世の死後も力を遺憾なく発揮し、次の教皇にはパウルス5世(スペイン派)を選出させている。