ルース・ホワイト
ルース・パトリシア・ホワイト(Ruth Patricia White、1914年4月24日 – 1969年12月3日)は、舞台、映画、テレビで活躍したアメリカ合衆国の女優。エミー賞、オビー賞を受賞し、トニー賞にノミネートされた。
ルース・ホワイト Ruth White | |
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エミー賞のトロフィーを持つルース・ホワイト | |
生年月日 | 1914年4月24日 |
没年月日 | 1969年12月3日(55歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国ニュージャージー州パースアンボイ |
死没地 | アメリカ合衆国ニュージャージー州パースアンボイ |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1946-1969年 |
生い立ち
編集アイルランド系カトリック教徒としてニュージャージー州パースアンボイで生涯を過ごした。セント・メアリー高校(St. Mary's High School)に通い、1935年にニュージャージー女子大学(現在のラトガーズ大学ダグラス・レジデンシャル・カレッジ)を卒業、文学の学士号を取得した[1]。故郷に近いニューヨーク市で演技の経験を積みながら、シートン・ホール大学で演技と演劇を教えた。同時期、マリア・オースペンスカヤから演技を学んでもいた[2]。
初期の経歴
編集1940年、ケープ・メイ・プレイハウスの見習いとして演技のキャリアを開始した[3]。第二次世界大戦の終盤、アラスカとアリューシャン列島で6か月間を過ごし、USO劇団のツアーに参加した。1948年から5年間、バックス郡プレイハウスの専属主演女優を務めた[2]。
経歴の中断と復帰
編集ホワイトの経歴は、病気療養中の母親を看護していた1950年代後半に滞りをみせる。その後、サミュエル・ベケット (『Happy Days』) とエドワード・オールビー (『Malcolm』と『Box』) のオフ・ブロードウェイの演劇に出演。1968年、ハロルド・ピンターの『しあわせな日々』で、トニー賞にノミネートされた。
彼女の映画出演の中には、フレッド・ジンネマン監督の『尼僧物語』(1959年)のマザー・マルセラ役や、ロバート・マリガン監督の『アラバマ物語』(1962年)で早熟な子供たちジェム、スカウト、ディルをどなりつける意地悪で年老いたデュボース夫人役がある。1960年代の終わりにはニューヨークで最も高く評価され、需要のある性格女優の1人となり、『奴らを高く吊るせ!』(1968年)、『殺しの接吻』(1968年)、『真夜中のカーボーイ』(1969年)などに出演した。
最後の出演映画は、彼女の死去から14か月後に公開された『幸せをもとめて』(1971年)であった。
受賞
編集1962年、舞台『しあわせな日々』で「際立った演技を見せた女優」としてオビー賞を受賞[5]。
1964年、ホールマーク・ホール・オブ・フェイムのテレビ映画『Little Moon of Alban』の演技によりプライムタイム・エミー賞 ドラマ・シリーズ部門 助演女優賞を受賞[6]。
死去
編集生涯未婚であったホワイトは、1969年12月3日に55歳で癌により死去した。兄弟のリチャードとチャールズ、姉妹のジュヌビエーブ・ドリスコル夫人が残された。パース・アンボイ教師組合ローカル857の会長を務めた、もう1人の姉妹であるメアリー・セシル・ホワイトは彼女より以前に亡くなっていた[7]。
フィルモグラフィー
編集映画 | ||||
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年 | 原題 | 邦題 | 役名 | 備考 |
1957 | Edge of the City | 暴力波止場 | キャサリン・ノードマン | |
1959 | The Nun's Story | 尼僧物語 | マザー・マルセラ | |
1962 | To Kill a Mockingbird | アラバマ物語 | デュボース夫人 | |
1965 | Baby the Rain Must Fall | ハイウェイ | クララ | |
1965 | A Rage to Live | 生きる情熱 | バノン夫人 | |
1966 | Cast a Giant Shadow | 巨大なる戦場 | ミセス・チェイソン | |
1967 | Up the Down Staircase | 下り階段をのぼれ | ベアトリス | |
1967 | The Tiger Makes Out | ミセス・ケリー | ||
1968 | No Way To Treat A Lady | 殺しの接吻 | ヒメル夫人 | |
1968 | A Lovely Way to Die | ボディガード | 料理人ビディ | |
1968 | Hang 'Em High | 奴らを高く吊るせ! | マダム・“ピーチズ”・ソフィ | |
1968 | Charly | まごころを君に | ミセス・アップル | |
1969 | Midnight Cowboy | 真夜中のカーボーイ | サリー・バック | |
1969 | The Reivers | 華麗なる週末 | レバ | |
1971 | The Pursuit of Happiness | 幸せをもとめて | ポッパー夫人 | (最後の映画出演) |
テレビ | ||||
年 | 原題 | 邦題 | 役名 | 備考 |
1949 | The Magic Cottage | ベッシー・ブックバインダー | 初期のデュモント子供向けシリーズ | |
1952 | Captain Video and His Video Rangers | ミセス・ブルフィンチ | 1エピソード | |
1963 | The Twilight Zone | トワイライト・ゾーン | ミセス・フォード | エピソード「落ちた時計」(The Incredible World of Horace Ford) |
1963-1965 | The Fugitive | 逃亡者 | エディス・ウェイバリー / グラム | 2エピソード |
脚注
編集- ^ “Ruth White, 55, Of Stage And TV; Actress Who Won Emmy in Little Moon of Alban Dies"”. The New York Times (1969年12月4日). 2023年4月15日閲覧。 “Ruth Catherine White, born April 14, 1924, into a family that had been in Perth Amboy for more than 150 years, was the daughter of Charles V. and Jane Gibbons White, She attended St. Mary's High School in her hometown and was graduated from Douglass College in New Brunswick, N. J.”
- ^ a b Brown, Doris (1961年4月16日). “Perth Amboy Actress Wins Acclaim In Role in 'Big Fish, Little Fish'”. en:Newspapers.com (New Jersey, New Brunswick: The Central New Jersey Home News): p. 31 2023年4月15日閲覧。
- ^ Brower, Millicent (1961年10月17日). “Actress Ruth White Performs Entire Role While Buried in Sand Mound”. en:Newspapers.com. WNS (Texas, Lubbock: Lubbock Avalanche-Journal): p. 2-B 2023年4月15日閲覧。
- ^ “Ruth White”. Internet Broadway Database. The Broadway League. 2017年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧。
- ^ “("Happy Days" search results)”. OBIE Awards. Village Voice and American Theatre Wing. 2017年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧。
- ^ The Complete Directory to Prime Time Network and Cable TV Shows, 1946-Present. Ballantine Books. (2003). p. 1416. ISBN 0-345-45542-8
- ^ Doyle, Marion (1969年12月9日). “Countless Friends Mourn Ruth White”. en:Newspapers.com (New Jersey, New Brunswick: The Central New Jersey Home News): p. 8 2023年4月15日閲覧。
外部リンク
編集- Ruth White - IMDb
- Ruth White - インターネット・ブロードウェイ・データベース
- Ruth White - Internet Off-Broadway Database
- Ruth White - Find a Grave