ルキウス・フルウィウス・コルウス
ルキウス・フルウィウス・コルウス(Lucius Fulvius Curius)は紀元前4世紀の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前322年の執政官(コンスル)を務めた。
経歴
編集紀元前322年に、クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌスと共に執政官に就任。フルウィウス氏族はプレブス(平民)の氏族であり、この氏族から執政官が出たのはルキウス・フルウィウスが初めてであった。
キケロによると、フルウィウス氏族はラティウムのトゥスクルム(en)の出身であったが、ルキウス・フルウィウスが執政官となった年に、トゥスクルムはローマに反乱した。ルキウス・フルウィウスはこの戦いに勝利したが、即ち故郷に勝利したことになる[1]。また、別の記録では、ルキウス・フルウィウスとクィントゥス・ファビウスは共にサムニウムに勝利し、凱旋式を実施している[2][3]。しかしながら、ティトゥス・リウィウスは、この勝利は独裁官(ディクタトル)アウルス・コルネリウス・コッスス・アルウィナによるものであるとしている[4]。
紀元前313年、ルキウス・フルウィウスは独裁官ルキウス・アエミリウス・マメルキヌス・プリウェルナスのマギステル・エクィトゥム(副官)に指名された。ローマ軍はサティキュラ(en)を包囲、救援にかけつけたサムニウム軍を撃退した[5]。
参考資料
編集関連項目
編集公職 | ||
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先代 ガイウス・スルピキウス・ロングス II クィントゥス・アウリウス・ケッレタヌス I |
執政官 同僚:クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス 紀元前322年 |
次代 ティトゥス・ウェトゥリウス・カルウィヌス II スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス II |